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舞 姫

作者:森 鴎外  来源:本站原创   更新:2004-5-19 23:52:00  点击:  切换到繁體中文

 

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 石炭をば早や積み果てつ。中等室の卓のほとりはいと靜にて、熾熱燈の光の晴

    アダ     コ ヨヒ カルタ
れがましきも徒なり。今宵は夜ごとにこゝに集ひ來る骨牌仲間も「ホテル」に宿

  ヨ     イツトセ ヒゴロ
りて、舟に殘れるは余一人のみなれば。五年前の事なりしが、平生の望足りて、

    カウム       コ
洋行の官命を蒙り、このセイゴンの港まで來し頃は、目に見るもの、耳に聞くも

      アラタ
の、一つとして新ならぬはなく、筆に任せて書き記しつる紀行文日ごとに幾千言


をかなしけむ、當時の新聞に載せられて、世の人にもてはやされしかど、今日に

ヲサナ     ヨノツネ
なりておもへば、穉き思想、身の程知らぬ放言、さらぬも尋常の動植金石、さ


ては風俗などをさへ珍しげにしるしゝを、心ある人はいかにか見けむ。こたびは

ト   ノボ   ドイツ
途に上りしとき、日記ものせむとて買ひし册子もまだ白紙のまゝなるは、獨逸に


て物學びせし間に、一種の「ニル、アドミラリイ」の氣象をや養ひ得たりけむ、

    ユエ
あらず、これには別に故あり。

    ヒンガシ カヘ
 げに東に還る今の我は、西に航せし昔の我ならず、學問こそ猶心に飽き足ら


ぬところも多かれ、浮世なうきふしをも知りたり、人の心の頼みがたきは言ふも

  ゼ
更なり、われとわが心さへ變り易きをも悟り得たり。きのふの是はけふの非な

      タレ
るわが瞬間の感觸を、筆に寫して誰にか見せむ。これや日記の成らぬ縁故なる、


あらず、これには別に故あり。

    ハ ツ カ
 嗚呼、フリンヂイシイの港を出でゝより、早や二十日あまりを經ぬ。世の常な

    セイメン マジハリ   ウ ナライ   ビヤウ
らば生面の客にさへ交を結びて、旅の憂さを慰めあふが航海の習なるに、微恙に

  ヘヤ  ウチ      コモ
ことよせて房の裡にのみ篭りて、同行の人々にも物言ふことの少きは、人知らぬ

ウラミ カシラ   スイス
恨に頭のみ惱ましたればなり。此恨は初め一抹の雲の如く我心を掠めて、瑞西

  サンショク    イタリア     イト
の山色をも見せず、伊太利の古蹟にも心を留めさせず、中頃は世を厭ひ、身をは

ハラワタ    キュウカイ       コ
かなみて、腸日ごとに九廻すともいふべき慘痛をわれに負はせ、今は心の奧に凝

  カタ   カゲ       フミ
り固まりて、一點の翳とのみなりたれど、文讀むごとに、物見るごとに、鏡に映

       ヒビキ カギリ   ヨ       イクタビ       クルシ
る影、聲に應ずる響の如く、限なき懷舊の情を喚び起して、幾度となく我心を苦

      セウ   ホカ
む。嗚呼、いかにしてかこの恨を銷せむ。若し外の恨なりせば、詩に詠じ歌によ

      エ
める後は心地すがすがしくもなりなむ。これのみは余りに深く我心に彫りつけら

    バウド       カギ
れたればさはあらじと思へど、今宵はあたりに人も無し、房奴の來て電氣線の鍵

  ヒネ   ツヅ
を捩るには猶程もあるべければ、いで、其概略を文に綴りて見む。

  コロ   ヲシヘ     カ ヒ       ウシナ
 余は幼き比より嚴しき庭の訓を受けし甲斐に、父をば早く喪ひつれど、學問の

スサ ヨビクワウ
荒み衰ふることなく、舊藩の學館にありし日も、東京に出でゝ豫備黌に通ひしと

  イ       オホタ トヨタ ラウ      ハジメ
きも、大學法學部に入りし後も、太田豐太郎といふ名はいつも一級の首にしるさ

    ヒトリ ゴ     トシ
れたりしに、一人子の我を力になして世を渡る母の心は慰みけらし。十九の歳に


は學士の稱を受けて、大學の立ちてより其頃までにまたなき名譽なりと人にも

     ナニガシ     ミヤコ     ミ
言はれ、某省に出仕して、故郷なる母を都に呼び迎へ、樂しき年を送ること三と

    コト
せばかり、官長の覺え殊なりしかば、洋行して一課の事務を取り調べよとの命を


受け、我名を成さむも、我家を興さむも、今ぞとおもふ心の勇み立ちて、五十を

コ   ハルバル
踰えし母に別るゝをもさまで悲しとは思はず、遥々と家を離れてベルリンの都に


來ぬ。

      モ コ   タチマ   ヨーロッパ
 余は模糊たる功名の念と、檢束に慣れたる勉強力とを持ちて、忽ちこの歐羅巴


の新大都の中央に立てり。何らの光彩ぞ、我目を射むとするは。何らの色澤ぞ、

       ボダイジユカ
我心を迷はさむとするは。菩提樹下と譯するときは、幽靜なる境なるべく思はる

      カミ
れど、この大道髮の如きウンテル、デン、リンデンに來て兩邊なる石だゝみの人

クミグミ      ウィルヘルム
道を行く隊々の士女を見よ。胸張り肩聳えたる士官の、まだ維廉一世の街に臨め

      ヨ   タマ   カオヨ ヲト
る窓に倚り玉ふ頃なりければ、樣々の色に飾り成したる禮裝をなしたる、妍き少

メ   パリ        ヨソホヒ       チヤン
女の巴里まねびの粧したる、彼も此も目を驚かさぬはなきに、車道の土瀝青の

  ロウカク
上を音もせで走るいろいろの馬車、雲に聳ゆる樓閣の少しとぎれたる處には、晴

   ミナギ       フキイ
れたる空に夕立の音を聞かせて漲り落つる噴井の水、遠く望めばブランデンブル

カ    ガイセンタフ
ク門を隔てゝ緑樹枝をさし交はしたる中より、半天に浮び出でたる凱旋塔の神女

  アマタ     モクセフ  カン  アツ
の像、この許多の景物目睫の間に聚まりたれば、始めてこゝに來しものゝ應接に

イトマ ウベ       タト
遑なきも宜なり。されど我胸には縱ひいかなる境に遊びても、あだなる美觀に心

   ウゴカ     チカヒ
をば動さじの誓ありて、つねに我を襲ふ外物を遮り留めたりき。

     スズナハ エツ
 余が鈴索を引き鳴らして謁を通じ、おほやけの紹介状を出だして東來の意を告

    プロシヤ
げし普魯西の官員は、皆快く余を迎へ、公使館よりの手つゞきだに事なく濟みた

      フル
らましかば、何事にもあれ、教へもし傳へもせむと約しき。喜ばしきは、わが故

サト ドイツ   フランス
里にて、獨逸、佛蘭西の語を學びしことなり。彼らは始めて余を見しとき、いづ


くにていつの間にかくは學び得つると問はぬことなかりき。

    イトマ   ユルシ
 さて官事の暇あるごとに、かねておほやけの許をば得たりければ、ところの大


學に入りて政治學を修めむと、名を簿册に記させつ。

スグ ハカド
 ひと月ふた月と過す程に、おほやけの打合せも濟みて、取調も次第に捗り行

    イクマキ
けば、急ぐことをば報告書に作りて送り、さらぬをば寫し留めて、つひには幾卷

オサナ
をかなしけむ。大學のかたにては、穉き心に思ひ計りしが如く、政治家になるべ

  コレ カウエン
き特科のあるべうもあらず、此か彼かと心迷ひながらも、二、三の法家の講筵に

ツラナ       ヲサ    ユ
列ることにおもひ定めて、謝金を收め、往きて聽きつ。

ミ トセ   キタ
 かくて三年ばかりは夢の如くにたちしが、時來れば包みても包みがたきは人の

カウシャウ
好尚なるらむ、余は父の遺言を守り、母の教に從ひ、人の神童なりなど褒むるが

  ヨ       ハゲ
嬉しさに怠らず學びし時より、官長の善き働き手を得たりと奬ますが喜ばしさに


たゆみなく勤めし時まで、たゞ所動的、器械的の人物になりて自ら悟らざりしが、

    スデ
今二十五歳になりて、既に久しくこの自由なる大學の風に當りたればにや、心の

   オダヤカ     ヒソ
中なにとなく妥ならず、奧深く潜みたりしまことの我は、やうやう表にあらはれ


て、きのふまでの我ならぬ我を攻むるに似たり。余は我身の今の世に雄飛すべき

ヨ   ソラン
政治家になるにも宜しからず、又善く法典を諳じて獄を斷ずる法律家になるに

  ヒソカ   イ
もふさはしからざるを悟りたりと思ひぬ。余は私に思ふやう、我母は余を活きた


る辭書となさんとし、我官長は余を活きたる法律となさんとやしけん。辭書たら

      タ       サ サ
むは猶堪ふべけれど、法律たらんは忍ぶべからず。今までは瑣々たる問題にも、

キハ     フミ   シキ
極めて丁寧にゐらへしつる余が、この頃より官長に寄する書には連りに法制の細

   カカヅラ フンプン
目に拘ふべきにあらぬを論じて、一たび法の精神をだに得たらんには、紛々たる
※「拘」……右は「句」ではなく「勾」


萬事は破竹の如くなるべしなどゝ廣言しつ。又大學にては法科の講筵を餘所に

  ヤウヤ シヨ  カ   サカヒ イ
して、歴史文學に心を寄せ、漸く蔗を嚼む境に入りぬ。


 官長はもと心のまゝに用ゐるべき器械をこそ作らんとしたりけめ。獨立の思想

  イダ       オモ アヤフ
を懷きて、人なみならぬ面もちしたる男をいかでか喜ぶべき。危きは余が當時の

       クツガ
地位なりけり。されどこれのみにては、猶我地位を覆へすに足らざりけんを、

ヒゴロベルリン   ウチ   ア       ヒトムレ オモシロ
日比伯林の留學生の中にて、或る勢力ある一群と余との間に、面白からぬ關係あ

      カノ   サイギ       ザンブ
りて、彼人々は余を猜疑し、又遂に余を讒誣するに至りぬ。されどこれとても


其故なくてやは。

      トモ  ビール サカヅキ       キウ
 彼人々は余が倶に麥酒の杯をも擧げず、球突きの棒をも取らぬを、かたくなな

  アザケ   ネタ
る心と慾を制する力とに歸して、且は嘲り且は嫉みたりけん。されどこは余

  イカ
を知らねばなり。嗚呼、此故よしは、我身だに知らざりしを、怎でか人に知ら

    ネ ム
るべき。わが心はかの合歡といふ木の葉に似て、物觸れば縮みて避けんとす。我

マナビ       ツカヘ
心は處女に似たり。余が幼き頃より長者の教を守りて、學の道をたどりしも、仕


の道をあゆみしも、皆な勇氣ありて能くしたるにあらず、耐忍勉強の力と見えし

   アザム       タ
も、皆な自ら欺き、人をさへ欺きつるにて、人のたどらせたる道を、唯だ一條に

    ス   カヘリ
たどりしのみ。餘所に心の亂れざりしは、外物を棄てゝ顧みぬ程の勇氣ありし

      バク
にあらず、唯外物に恐れて自らわが手足を縛せしのみ。故郷を立ちいづる前にも、

    イウイ   ヨ
我が有爲の人物なることを疑はず、また我心の能く耐へんことをも深く信じたり

   アッパレ
き。嗚呼、彼も一時。舟の横濱を離るゝまでは、天晴豪傑と思ひし身も、せきあ

シユキン     ホン
へぬ涙に手巾を濡らしつるを我れ乍ら怪しと思ひしが、これぞなかなかに我本

シャウ
性なりける。此心は生れながらにやありけん、また早く父を失ひて母の手に育


てられしによりてや生じけん。

  カノ アザケ     ネタ
 彼人々の嘲るはさることなり。されど嫉むはおろかならずや。この弱くふびん


なる心を。

  オモテ       カクゼン   コロモ マト    カツフエー       ヒ
 赤く白く面を塗りて、赫然たる色の衣を纏ひ、珈琲店に坐して客を延く女を見

      ユ     プロシ
ては、往きてこれに就かん勇氣なく、高き帽を戴き、眼鏡に鼻を挾ませて、普魯


西にては貴族めきたる鼻音にて物言ふ「レエベマン」を見ては、往きてこれと遊

マジハ
ばん勇氣なし。此等の勇氣なければ、彼活溌なる同郷の人々と交らんやうもな

      ウト
し。この交際の疎きがために、彼人々は唯余を嘲り、余を嫉むのみならで、又

    サイギ     エンザイ      ザンジ       カン
余を猜疑することゝなりぬ。これぞ余が冤罪を身に負ひて、暫時の間に無量の艱

ナン  ケミ    ナカダチ
難を閲し盡す媒なりける。

   ジウエン
 或る日の夕暮なりしが、余は獸苑を漫歩して、ウンテル、デン、リンデンを過

ケウキョ   カウ
ぎ、我がモンビシユウ街の僑居に歸らんと、クロステル巷の古寺の前に來ぬ。余

      トモシビ        コウヂ ロウジャウ オバシマ
は彼の燈火の海を渡り來て、この狹く薄暗き巷に入り、樓上の木欄に干したる敷

    ハダギ       ホホヒゲ   ユダヤ オキナ
布、襦袢などまだ取入れぬ人家、頬髭長き猶太教徒の翁が戸前に佇みたる居酒屋、

     ハシゴ      タカドノ アナグラズ     カ ヂ
一つの梯は直ちに樓に達し、他の梯は窖住まひの鍛冶が家に通じたる貸家などに

  ヒッコ
向ひて、凹字の形に引篭みて立てられたる、此三百年前の遺跡を望む毎に、

   クワウコツ シバ       イクタビ
心の恍惚となりて暫し佇みしこと幾度なるを知らず。

      トザ ヨ
 今この處を過ぎんとするとき、鎖したる寺門の扉に倚りて、聲を呑みつゝ泣く

ヲトメ       カブ   キレ モ
ひとりの少女あるを見たり。年は十六七なるべし、被りし巾を洩れたる髮の色

アカ
は、薄きこがね色にて、着たる衣は垢つき汚れたりとも見えず。我足音に驚かさ

オモテ
れてかへりみたる面、余に詩人の筆なければこれを寫すべくもあらず。この青く

    ウレヒ       マミ       マツゲ  オホ
清らにて物問ひたげに愁を含める目の、半ば露を宿せる長き睫毛に掩はれたるは、

ナニユエ
何故に一顧したるのみにて、用心深き我心の底までは徹したるか。

      ハカ ナゲ   ア   イトマ
 彼は料らぬ深き歎きに遭ひて、前後を顧みる遑なく、こゝに立ちて泣くにや。

   オクビヤウ レンビン   ソバ ヨ
我が臆病なる心は憐憫の情に打ち勝たれて、余は覺えず側に倚り、「何故に泣き

タマ ケイルイ ヨソビト
玉ふか。ところに繋累なき外人は、却て力を借し易きこともあらん。」と

      アキ
いひ掛けたるが、我ながらわが大膽なるに呆れたり。

  ウチマモ   シンソツ   アラ
 彼は驚きてわが黄なる面を打守りしが、我が眞率なる心や色に形はれたりけん。

ムゴ       シバ カ
「君は善き人なりと見ゆ。彼の如く酷くはあらじ。又我母の如く。」暫し涸れ

アフ       ホホ
たる涙の泉はまた溢れて愛らしき頬を流れ落つ。


 「我を救ひ玉へ、君。わが耻なき人とならんを。母はわが彼の言葉に從はねば

      ハウム     カナハ    タクハヘ
とて、我を打ちき。父は死にたり。明日は葬らでは※ぬに、家に一錢の貯だ
※りつしんべんの右に「匚」、中に夾。


になし。」

      キ キョ   フル ウナジ
 跡は欷歔の聲のみ。我が眼はこのうつむきたる少女の顫ふ項にのみ注がれたり。

ヤ   シズ
 「君が家に送り行かんに、先づ心を鎭め玉へ。聲をな人に聞かせ玉ひそ。こゝ

  ワウライ     カシラ
は往來なるに。」彼は物語するうちに、覺えず我肩に倚りしが、この時ふと頭を

ハジメ ソバ
擡げ、又始てわれを見たるが如く、恥ぢて我側を飛びのきつ。

    イト
 人の見るが厭はしさに、早足に行く少女の跡に附きて、寺の筋向ひなる大戸を

       ハシゴ       ノ   クグ
入れば、缺け損じたる石の梯あり。これを上ぼりて、四階目に腰を折りて潜るべ

    サ   ネ
き程の戸あり。少女は※びたる針金の先きを捩ぢ曲げたるに、手を掛けて強く
※「金」の右に「肅」

シハガ   オウナ   タ
引きしに、中には咳枯れたる老媼の聲して、「誰ぞ」と問ふ。エリス歸りぬと答

    シラ ア     ソウ
ふる間もなく、戸をあらゝかに引開けしは、半ば白みたる髮、惡しき相にはあら

    アト ヌカ    ジウメン
ねど、貧苦の痕を額に印せし面の老媼にて、古き獸綿の衣を着、汚れたる上靴を

ハ ハゲ
穿きたり。エリスの余に會釋して入るを、かれは待ち兼ねし如く、戸を劇しくた


て切りつ。

バウゼン       ランプ スカ
 余は暫し茫然として立ちたりしが、ふと油燈の光に透して戸を見れば、エルン

  ウルシ   シ タテモノシ
スト、ワイゲルトと漆もて書き、下に仕立物師と注したり。これすぎぬといふ少

      シズカ
女が父の名なるべし。内には言ひ爭ふごとき聲聞えしが、又靜になりて戸は再

  ア       インギン   ワ
び明きぬ。さきの老媼は慇懃におのが無禮の振舞せしを詫びて、余を迎へ入れつ。

クリヤ メ テ       アサヌノ       ユンデ
戸の内は厨にて、右手の低き窓に、眞白に洗ひたる麻布を懸けたり。左手には粗

      レングワ カマド   シラヌノ
末に積上げたる煉瓦の竃あり。正面の一室の戸は半ば開きたるが、内には白布を

オホ    フシド
掩へる臥床あり。伏したるは亡き人なるべし。竃の側なる戸を開きて余を導きつ。

ヒトマ
この處は所謂「マンサルド」の街に面したる一間なれば、天井もなし。隅の

    ナナメ       ハリ   ツカ
屋根裏より窓に向ひて斜に下れる梁を、紙にて張りたる下の、立たば頭の支ふべ

    カモ
き處に臥床あり。中央なる机には美しき氈を掛けて、上には書物一二卷と寫眞

      ナラ    タウヘイ アタヒ カタハラ
帖とを列べ、陶瓶にはこゝに似合はしからぬ價高き花束を生けたり。そが傍に少

    ハヂ
女は羞を帶びて立てり。

      スグ     チ     トモシビ      ウスクレナイ サ      カボソ
 彼は優れて美なり。乳の如き色の顏は燈火に映じて微紅を潮したり。手足の纖

タオヤカ   ヲミナ   ヘヤ       ナマ
く※なるは、貧家の女に似ず。老媼の室を出でし跡にて、少女は少し訛りたる言
※「島」……「山」の部分に「衣」


葉にて言ふ。「許し玉へ。君をこゝまで導きし心なさを。君は善き人なるべし。

      ハフリ
我をばよも憎み玉はじ。明日に迫るは父の葬、たのみに思ひしシヤウムベルヒ、

       ザガシラ
君は彼を知らでやおはさん。彼は「ヰクトリア」座の座頭なり。彼が抱へとなり

    フタトセ   ウレヒ
しより、早や二年なれば、事なく我らを助けんと思ひしに、人の憂に附けこみて、

      サ     カエ
身勝手なるいひ掛けせんとは。我を救ひ玉へ、君。金をば薄き給金を拆きて還し

マイ   ヨシヤ     クラ
參らせん、縱令我身は食はずとも。それもならずば母の言葉に。」彼は涙ぐみて

    イナ   ビタイ
身をふるはせたり。其見上げたる目には、人に否とはいはせぬ媚態あり。この


目の働きは知りてするにや、また自らは知らぬにや。

      カク
 我が隱しには二、三「マルク」の銀貨あれど、それにて足るべくもあらねば、

      シノ       ツカヒ
余は時計をはづして机の上に置きぬ。「これにて一時の急を凌ぎ玉へ。質屋の使

      アタヒ
のモンビシユウ街三番地にて太田と尋ね來ん折には價を取らすへきに。」

  ワカレ
 少女は驚き感ぜしさま見えて、余が辭別のために出したる手を唇にあてたるが、

     ソビラ ソソ
はらはらと落つる熱き涙を我手の背に濺ぎつ。

キョウキョ
 嗚呼、何等の惡因ぞ。この恩を謝せんとて、自ら我僑居に來し少女は、シヨオ

  ヒネモスコツザ
ペンハウエルを右にし、シルレルを左にして、終日兀坐する我讀書の窓下に、一

ヤウヤ
輪の名花を咲かせてけり。この時を始として、余と少女との交漸く繁くなりもて

ソクレウ       モ     ムレ
行きて、同郷人にさへ知られぬれば、彼らは速了にも、余を以て色を舞姫の群に

ギョ   チガイ
漁するものとしたり。われ等二人の間にはまだ癡※なる歡樂のみ存じたりしを。
※馬の右に「矣」
  サ ハバカリ    
 其名を斥さんは憚あれど、同郷人の中に事を好む人ありて、余が屡々芝

    モト      スコブ
居に出入して、女優と交るといふことを、官長の許に報じつ。さらぬだに余が頗

キ ロ ムネ
る學問の岐路に走るを知りて憎み思ひし官長は、遂に旨を公使館に傳へて、我官


を免じ、我職を解いたり。公使がこの命を傳ふる時余に謂ひしは、御身若し即時

  キャウ       ア   オホヤケ
に郷に歸らば、路用を給すべけれど、若し猶こゝに在らんには、公の助けをば

イウヨ   コ    ワズラ
仰ぐべからずとのことなりき。余は一週日の猶豫を請ひて、とやかうと思ひ煩ふ

    ホトン
うち、我生涯にて尤も悲痛を覺えさせたる二通の書状に接しぬ。この二通は殆ど


同時にいだしゝものなれど、一は母の自筆、一は親族なる某が、母の死を、我が

シタ     フミ
またなく慕ふ母の死を報じたる書なりき。余は母の書中の言をこゝに反復するに

       ハコビ サマタ
堪へず、涙の迫り來て筆の運を妨ぐればなり。

    ヨ ソ メ
 余とエリスとの交際は、この時までは餘所目に見るより清白なりき。彼は父の


貧きがために、充分なる教育を受けず、十五の時舞の師のつのりに應じて、この

  ワザ
耻づかしき業を教へられ、「クルズス」果てゝ後、「ヰクトリア」座に出でゝ、


今は場中第二の地位を占めたり。されど詩人ハツクレンデルが當世の奴隸と言ひ

ツナ     ヲンシフ
し如く、はかなきは舞姫の身の上なり。薄き給金にて繋がれ、晝の温習、夜の舞

    キビ     ヨソホ
臺と緊しく使はれ、芝居の化粧部屋に入りてこそ紅粉をも粧ひ、美しき衣をも纏


へ、場外にてはひとり身の衣食も足らず勝なれば、親腹からを養ふものは其

    イカニ     イヤ       オ       マレ
辛苦奈何ぞや。されば彼らの仲間にて、賎しき限りなる業に墮ちぬは稀なりとぞ

ノガ
いふなる。エリスがこれを遁れしは、おとなしき性質と、剛氣ある父の守護とに


依りてなり。彼は幼き時より物讀むことをば流石に好みしかど、手に入るは卑

  トナ       アヒシ
しき「コルポルタアジユ」と唱ふる貸本屋の小説のみなりしを、余と相識る頃よ

フミ   ヤウヤ   ナマリ
り、余が借しつる書を讀みならひて、漸く趣味をも知り、言葉の訛をも正し、い

     アヤマリジ
く程もなく余に寄するふみにも誤字少なくなりぬ。かゝれば余等二人の間には


先づ師弟の交りを生じたるなりき。我が不時の免官を聞きしときに、彼は色を失

      カカワ
ひつ。余は彼が身の事に關りしを包み隱しぬれど、彼は余に向ひて母にはこれを

      ウト
祕め玉へと云ひぬ。こは母の余が學資を失ひしを知りて余を疎んぜんを恐れてな


り。

クハシ       メ ニハカ
 嗚呼、委くこゝに寫さんも要なけれど、余が彼を愛づる心の俄に強くなりて、

    ナカ       ヨコタハ    マコト
遂に離れ難き中となりしは此折なりき。我一身の大事は前に横りて、洵に危

トキ       オコナヒ     ソシ
急存亡の秋なるに、この行ありしをあやしみ、又誹る人もあるべけれど、余

サツキ   アワレ
がエリスを愛する情は、始めて相見し時よりあさくはあらぬに、いま我數奇を憐

      オモテ   ビン
み、又別離を悲みて伏し沈みたる面に、鬢の毛の解けてかゝりたる、その美し


き、いぢらしき姿は、余が悲痛感慨の刺激によりて常ならずなりたる腦髓を射て、

      カン イ カ
恍惚の間にこゝに及びしを奈何にせむ。

    メイ
 公使に約せし日も近づき、我命はせまりぬ。このまゝにて郷にかへらば、學成

  トド       ウ
らずして汚名を負ひたる身の浮ぶ瀬あらじ。さればとて留まらんには、學資を得


べき手だてなし。

     アヒザワケンキチ       ア       スデ
 この時余を助けしは今我同行の一人なる相澤謙吉なり。彼は東京に在りて、既

アマガタハク   ヘンシフチャウ
に天方伯の祕書官たりしが、余が免官の官報に出でしを見て、某新聞紙の編輯長

ベルリン
に説きて、余を社の通信員となし、伯林に留まりて政治學藝の事などを報道せし


むることとなしつ。

    スミカ     ヒルゲ     タベモノミセ
 社の報酬はいふに足らぬ程なれど、棲家をもうつし、午餐に往く食店をもか

      カスカ       アラ
へたらんには、微なる暮しは立つべし。兎角思案する程に、心の誠を顯はし


て、助の綱をわれに投げ掛けしはエリスなりき。かれはいかに母を説き動かしけ

      キグウ
ん、余は彼ら親子の家に寄寓することとなり、エリスと余とはいつよりとはなし


に、有るか無きかの收入を合せて、憂きがなかにも樂しき月日を送りぬ。

     カッフェー
 朝の珈琲果つれば、彼は温習に往き、さらぬ日には家に留まりて、余はキヨオ

マグチ   オモム
ニヒ街の間口せまく奧行のみいと長き休息所に赴き、あらゆる新聞を讀み、鉛筆

キ     ヒキマド       ヘヤ
取り出でゝ彼此と材料を集む。この截り開きたる引窓より光を取れる室にて、

ワザ   ワカウド カ     オノ
定りたる業なき若人、多くもあらぬ金を人に借して己れは遊び暮す老人、取引所

  ヌス   アキウド     ヒジ       ヒヤヤカ  シヅクエ   イソガ
の業の隙を偸みて足を休むる商人などゝ臂を竝べ、冷なる石卓の上にて、忙は

  コ     ヒトツキ サ   カヘリ   ア
しげに筆を走らせ、小をんなが持て來る一盞の珈琲の冷むるをも顧みず、明きた

      ハサ   イクイロ ツラ
る新聞の細長き板ぎれに挿みたるを、幾種となく掛け聨ねたるかたへの壁に、い


く度となく往來する日本人を、知らぬ人は何とか見けん。また一時近くなる程

      トモ
に、温習に往きたる日には返り路によぎりて、余と倶に店を立出づるこの常なら

       ショウジョウ
ず輕き、掌上の舞をもなしえつべき少女を、怪み見送る人もありしなるべし。

  スサ       カスカ     イス
 我學問は荒みぬ。屋根裏の一燈微に燃えて、エリスが劇場よりかへりて、椅に

      ヌヒ
寄りて縫ものなどする側の机にて、余は新聞の原稿を書けり。昔しの法令條目の

    カキヨ コト     カカハ
枯葉を紙上に掻寄せしとは殊にて、今は活溌々たる政界の運動、文學美術に係る


新現象の批評など、彼此と結びあはせて、力の及ばん限り、ビヨルネよりは

  オモヒ   フミ     ウイルヘルム
寧ろハイネを學びて思を構へ、樣々の文を作りし中にも、引續きて維廉一世と

フレデリック       ホウソ イカン
佛得力三世との崩※ありて、新帝の即位、ビスマルク候の進退如何などの事に
※「歿」の右半分が「且」

ツイ コトサ  ツマビラ
就ては、故らに詳かなる報告をなしき。さればこの頃よりは思ひしよりも忙はし

  ヒモト     カタ
くして、多くもあらぬ藏書を繙き、舊業をたづぬることも難く、大學の籍はまだ

ケズ カウエン
刪られねど、謝金を收むることの難ければ、唯だ一つにしたる講筵だに往きて聽


くことは稀なりき。


 我學問は荒みぬ。されど余は別に一種の見識を長じき。そをいかにといふに、

オヨ     ル フ     シ
凡そ民間學の流布したることは、歐州諸國の間にて獨逸に若くはなからん。幾百

     スコブ
種の新聞雜誌に散見する議論には頗る高尚なるも多きを、余は通信員となりし日

  イッセキ ガンコウ
より、曾てに大學に繁く通ひし折、養ひ得たる一隻の眼孔もて、讀みては又

    オノヅカ ソウクワツ
讀み、寫しては又寫す程に、今まで一筋の道をのみ走りし知識は、自ら綜括


的になりて、同郷の留學生などの大かたは、夢にも知らぬ境地に到りぬ。彼等の


仲間には獨逸新聞の社説をだに善くはえ讀まぬがあるに。

   オモテマチ       スナ    マ   スキ    フル
 明治廿一年の冬は來にけり。表街の人道にてこそ沙をも撒け、※をも揮へ、ク
※「金」へんに、「挿」の右側

  トツアフカンカ   アシタ
ロステル街の邊りは凸凹坎※の處は見ゆめれど、表のみは一面に氷りて、朝に戸
※「土」へんに「可」

ウ スズメ   タ
を開けば飢ゑ凍えし雀の落ちて死にたるも哀れなり。室を温め、竃に火を焚きつ

トホ       ウガ   ヨーロッパ       タ
けても、壁の石を徹し、衣の綿を穿つ北歐羅巴の寒さは、なかなかに堪へがたか

     タス
り。エリスは二、三日前の夜、舞臺にて卒倒しつとて、人に扶けられて歸り來し

    ココチ     ツハリ
が、それより心地あしとて休み、もの食ふごとに吐くを、惡阻といふものならん

   オボツカ     ユクスエ
と始めて心づきしは母なりき。嗚呼、さらぬだに覺束なきは我身の行末なるに、


若し眞なりせばいかにせまし。

  フ
 今朝は日曜なれば家に在れど、心は樂しからず。エリスは床に臥す程にはあ

チサ   ホトリ スクナ
らねど、小き鐵爐の畔に椅子さし寄せて言葉寡し。この時戸口に人の聲して、ほ

      ハウチユウ
どなく庖厨にありしエリスが母は、郵便の書状を持て來て余にわたしつ。見れば

    プロシヤ       ベルリン
見覺えある相澤が手なるに、郵便切手は普魯西のものにて、消印には伯林とあり。

イブカ   ヒラ    アラカジ   ヨシ ヨ ベ
訝りつゝも披きて讀めば、とみの事にて預め知らするに由なかりしが、昨夜こゝ

   アマガタ   ハク ナンジ       ト
に着せられし天方大臣に附きてわれも來たり。伯の汝を見まほしとのたまふに疾

  コ クワイフク
く來よ。汝が名譽を恢復するも此時にあるべきぞ。心のみ急がれて用事をのみ

    オワ   オモ
いひ遣るとなり。讀み畢りて茫然たる面もちを見て、エリス云ふ。「故郷よりの

フミ タヨリ
文なりや。惡しき便にてはよも。」彼は例の新聞社の報酬に關する書状と思ひし

  イナ   トモ
ならん。「否、心にな掛けそ。おん身も名を知る相澤が、大臣と倶にこゝに來て


われを呼ぶなり。急ぐといへば今よりこそ。」

  ヒト  ゴ
 かはゆき獨り子を出し遣る母もかくは心を用ゐじ。大臣にまみえもやせんと思

    ヤマヒ タ   エラ
へばならん、エリスは病をつとめて起ち、上襦袢も極めて白きを撰び、丁寧にし


まひ置きし「ゲエロツク」といふ二列ぼたんの服を出して着せ、襟飾りさへ余が


爲に手づから結びつ。

      タ     エ       ワレ
 「これにて見苦しとは誰れも得言はじ。我鏡に向きて見玉へ。何故にかく不興

      モロトモ   カタチ
なる面もちを見せ玉ふか。われも諸共に行かまほしきを。」少し容を改めて、

      アラタ
「否、かく衣を更め玉ふを見れば、何となくわが豐太郎の君とは見えず。」又

      ヨシヤ フウキ
少し考へて。「縱令富貴になり玉ふ日はありとも、われをば見棄て玉はじ。我病

      ノタマ
は母の宣ふ如くならずとも。」

      イク
 「何、富貴。」余は微笑しつ。「政治社會などに出でんの望みは絶ちしより幾

セ    タダ
年をか經ぬるを。大臣は見たくもなし。唯年久しく別れたりし友にこそ逢ひには

      モト
行け。」エリスが母の呼びし一等「ドロシユケ」は、輪下にきしる雪道を窓の下

     グワイタウ オホ
まで來ぬ。余は手袋をはめ、少し汚れたる外套を背に被ひて手をば通さず帽を取

    セツプン  タカドノ       サクフウ
りてエリスに接吻して樓を下りつ。彼は凍れる窓を開け、亂れし髮を朔風に吹かせ


て余が乘りし車を見送りぬ。

  オ カドモリ   ヘヤ
 余が車を下りしは「カイゼルホオフ」の入口なり。門者に祕書官相澤が室の番

   キザハシ
號を問ひて、久しく踏み慣れぬ大理石の階を登り、中央の柱に「プリユツシユ」を

オオ   ス
被へる「ゾファ」を据ゑつけ、正面には鏡を立てたる前房に入りぬ。外套をばこ

   ワタドノ   ユ     チチユウ
ゝにて脱ぎ、廊をつたひて室の前まで往きしが、余は少し踟※したり。同じく大
※「足」の右に「厨」
    イカ
學に在りし日に、余が品行の方正なるを激賞したる相澤が、けふは怎なる面もち

  タク
して出迎ふらん。室に入りて相對して見れば、形こそ舊に比ぶれば肥えて逞ましく

シッコウ
なりたれ、依然たる快活の氣象、我失行をもさまで意に介せざりきと見ゆ。別後

  イトマ   エツ
の情を細叙するにも遑あらず、引かれて大臣に謁し、委託せられしは獨逸語にて

      モンジヨ
記せる文書の急を要するを飜譯せよとの事なり。余が文書を受領して大臣の室を

      ヒルゲ
出でし時、相澤は跡より來て余と午餐を共にせんといひぬ。

    セイロ   オホム     カンカ
 食卓にては彼多く問ひて、我多く答へき。彼が生路は概ね平滑なりしに、轗軻

サツキ
數奇なるは我身の上なりければなり。

     キヨウオク   エツレキ       シバシバ
 余が胸臆を開いて物語りし不幸なる閲歴を聞きて、かれは屡々驚きしが、

      セ ボンヨウ   セイハイ  ノノシ
なかなかに余を譴めんとはせず、却りて他の凡庸なる諸生輩を罵りき。されど

      イサ   モ
物語の畢りし時、彼は色を正して諌むるやう、この一段のことは素と生れながら

  カ ヒ
なる弱き心より出でしなれば、今更に言はんも甲斐なし。とはいへ、學識あり、

    ナリハヒ
才能あるものが、いつまでか一少女の情にかゝづらひて、目的なき生活をなすべき。

ドイツ
今は天方伯も唯だ獨逸語を利用せんの心のみなり。おのれも亦伯が當時の免官

      シイ キョクヒ
の理由を知れるが故に、強て其成心を動かさんとはせず、伯が心中にて曲庇

モノ ホウイウ スス
者なりなんど思はれんは、朋友に利なく、おのれに損あればなり。人を薦むるは

マ   シ     カノ
先づ其能を示すに若かず。これを示して伯の信用を求めよ。また彼少女との關

      ヨシヤ
係は、縱令彼に誠ありとも、縱令情交は深くなりぬとも、人材を知りてのこひに


あらず、慣習といふ一種の惰性より生じたる交なり。意を決して斷てと。是

      コト
れ其言のおほむねなりき。

カヂ       ビト
 大洋に舵を失ひしふな人が、遥なる山を望む如きは、相澤が余に示したる前途

  ホウシン
の方鍼なり。されどこの山は猶重霧の間に在りて、いつ往きつかんも、否、果


して往きつきぬとも、我中心に滿足を與へんも定かならず。貧しきが中にも樂し


きは今の生活、棄て難きはエリスが愛。わが弱き心には思ひ定めんよしなかり

     シバラ
しが、姑く友の言に從ひて、この情縁を斷たんと約しき。余は守る所を失はじと

      カウテイ       コタ
思ひて、おのれに敵するものには抗抵すれども、友に對して否とはえ對へぬが常


なり。

  オモテ ウ     ガラス    キビ   トザ   タウロ
 別れて出づれば風面を撲てり。二重の玻璃窓を緊しく鎖して、大いなる陶爐に

    タ
火を焚きたる「ホテル」の食堂を出でしなれば、薄き外套を透る午後四時の寒さ

    ハダヘアハ
は殊さらに堪へ難く、膚粟立つと共に、余は心の中に一種の寒さを覺えき。


 飜譯は一夜になし果てつ。「カイゼルホオフ」へ通ふことはこれより漸く繁く

   チカゴロ
なりもて行く程に、初めは伯の言葉も用事のみなりしが、後には近比故郷にて


ありしことなどを擧げて余が意見を問ひ、折に觸れては道中にて人々の失錯あり


しことどもを告げて打笑ひ玉ひき。

      ア ス   ロ シ ヤ
 一月ばかり過ぎて、或る日伯は突然われに向ひて、「余は明旦、魯西亞に向ひ

      イトマ
て出發すべし。隨ひて來べきか、」と問ふ。余は數日間、かの公務に遑なき相澤

  トヒ
を見ざりしかば、此問は不意に余を驚かしつ。「いかで命に從はざらむ。」余


は我耻を表はさん。此答はいち早く決斷して言ひしにあらず。余はおのれが信

      トツサ   カン
じて頼む心を生じたる人に、卒然ものを問はれたるときは、咄嗟の間、其答の

    ハカ       ナ
範圍を善くも量らず、直ちにうべなふことあり。さてうべなひし上にて、其爲

    シイ       オホ  カク
し難きに心づきても、強て當時の心虚なりしを掩ひ隱し、耐忍してこれを實行

        シバシバ
すること屡々なり。

シロ     タマ
 この日は飜譯の代に、旅費さへ添へて賜はりしを持て歸りて、飜譯の代をばエ

      ロ シ ヤ       ツヒエ
リスに預けつ。これにて魯西亞より歸り來んまでの費をば支へつべし。彼は醫者

      サガ
に見せしに常ならぬ身なりといふ。貧血の性なりしゆゑ、幾月か心づかでありけ

   ザガシラ
ん。座頭よりは、休むことのあまりに久しければ籍を除きぬと言ひおこせつ。ま


だ一月ばかりなるに、かく嚴しきは故あればなるべし。旅立の事にはゐたく心を


惱ますとも見えず。僞りなき我心を厚く信じたれば。


 鐵路にては遠くもあらぬ旅なれば、用意とてもなし。身に合せて借りたる黒き

      アラタ     ロ テイ
禮服、新に買求めたるゴタ板の魯廷の貴族譜、二三種の辭書などを、小「カ


バン」に入れたるのみ。流石に心細きことのみ多きこの程なれば、出で行く

      ウ ウシロメタ
跡に殘らんも物憂かるべく、また停車場にて涙こぼしなどしたらんには影護かる

    イダ
べければとて、翌朝早くエリスをば母につけて知る人がり出しやりつ。余は旅裝

  トザ
整へて戸を鎖し、鍵をば入口に住む靴屋の主人に預けて出でぬ。

ゼツジン   ツトメ タチマチ   ラツ  サ
 魯國行につきては、何事をか敍すべき。わが舌人たる任務は忽地に余を拉し去

オト
りて、青雲の上に墮したり。余が大臣の一行に隨ひて、ペエテルブルクに在りし

イネウ     パリ       ケウシヤ     ウチ       サウシヨク コトサ
間に余を圍繞せしは、巴里絶頂の驕奢を、氷雪の裡に移したる王城の粧飾、故ら

  ワウラフ シヨク       トモ   イクホシ       イクエ
に黄蝋の燭を幾つ共なく點したるに、幾星の勳章、幾枝の「エポレツト」が映射

テウル   タクミ
する光、彫鏤の工を盡したる「カミン」の火に寒さを忘れて使ふ宮女の扇の閃き

      カン フランス ゴ ヒンシュ
などにて、この間佛蘭西語を最も圓滑に使ふものはわれなるがゆゑに、賓主の間


に周旋して事を辨ずるものもまた多くは余なりき。

      フミ
 この間余はエリスを忘れざりき、否、彼は日毎に書を寄せしかばえ忘れざり

トモシビ
き。余が立ちし日には、いつになく獨りにて燈火に向はん事の心憂さに、知る人

  モト
の許にて夜に入るまでもの語りし、疲るゝを待ちて家に還り、直ちにいねつ。次

    メ ザ     ヒト
の朝目醒めし時は、猶獨り跡に殘りしことを夢にはあらずやと思ひぬ。起き出

タツキ   クルシ
でし時の心細さ、かゝる思ひをば、生計に苦みて、けふの日の食なかりし折にも

フミ  アラマシ
せざりき。これ彼が第一の書の略なり。

  スコブ
 又程經てのふみは頗る思ひせまりて書きたる如くなりき。文をば否といふ

    ソコヒ     フルサト
字にて起したり。否、君を思ふ心の深き底をば今ぞ知りぬる。君は故里に頼もし

  ヤカラ   ヨワタリ
き族なしとのたまへば、この地に善き世渡のたつきあらば、留り玉はぬことやは

      ヤ     カナハ ヒンガシ
ある。また我愛もて繋ぎ留めでは止まじ。それも※で東に還り玉はんとなら
※りつしんべんの右に「匚」、中に夾。

ロ ヨウ  イズク       イカ    ワザ
ば、親と共に往かんは易けれど、か程に多き路用を何處よりか得ん。怎なる業


をなしてもこの地に留りて、君が世に出で玉はん日をこそ待ためと常には思ひし

      オモヒ
が、暫しの旅とて立出で玉ひしより此二十日ばかり、別離の思は日にけに茂り

  タモト       クゲン マヨヒ
ゆくのみ。袂を分つはたゞ一瞬の苦艱なりと思ひしは迷なりけり。我身の常なら


ぬが漸くにしるくなれる、それさへあるに、縱令いかなることありとも、我をば

ユメ
努な棄て玉ひそ。母とはゐたく爭ひぬ。されど我身の過ぎし頃には似で思ひ定め


たるを見て心折れぬ。わが東に往かん日には、ステツチンわたりの農家に、遠き


縁者あるに、身を寄せんとぞいふなる。書きおくり玉ひし如く、大臣の君に重く

  ヒタスラ
用ゐられ玉はゞ、我路用の金は兎も角もなりなん。今は只管君がベルリン


にかへり玉はん日を待つのみ。

フミ
 嗚呼、余はこの書を見て始めて我地位を明視し得たり。耻かしきは我が鈍き心

ヒ ト
なり。余は我身一つの進退につきても、また我身にかゝはらぬ他人のことにつき


ても、決斷ありと自ら心に誇りしが、此決斷は順境にのみありて、逆境にはあ


らず。我と人との關係を照らさんとするときは、頼みし胸中の鏡は曇りたり。


 大臣はすでに我に厚し。されどわが近眼は唯だおのれが盡したる職分をのみ見


き。余はこれに未來の望を繋ぐことには、神も知るらむ、絶えて想到らざりき。

  カ
されど今こゝに心づきて、我心は猶冷然たりし歟。先に友の勸めしときは、大

トリ       ヤ ヤ
臣の信用は屋上の禽の如くなりしが、今は稍々これを得たるかと思はるゝに、相

  ハシ トモ ウンヌン
澤がこの頃の言葉の端に、本國に歸りて後も倶にかくてあらば云々と云ひしは、

  ノタマ        アキラカ
大臣のかく宣ひしを、友ながらも公事なれば明には告げざりし歟。今更おもへば、


余が輕率にも彼に向ひてエリスとの關係を絶たんといひしを、早く大臣に告げや


しけん。

ドイツ  コ ハジメ
 嗚呼、獨逸に來し初に、自ら我本領を悟りきと思ひて、また器械的人物とはな

バク
らじと誓ひしが、こは足を縛して放たれし鳥の暫し羽を動かして自由を得たりと

  ヨシ   サキ     アヤ             ナニガシ
誇りしにはあらずや。足の絲は解くに由なし。曩にこれを操つりしは、我が某


省の官長にて、今はこの絲、あなあはれ、天方伯の手中に在り。余が大臣の一行

アシタ
と倶にベルリンに歸りしは、恰も是れ新年の旦なりき。停車場に別を告げ

    ワガヤ     カ        グワンタン
て、我家をさして車を驅りつ。こゝにては今も除夜に眠らず、元旦に眠るが習ひ

    セキゼン     カド
なれば、萬戸寂然たり。寒さは強く、路上の雪は稜角ある氷片となりて、晴れた

  ト
る日に映じ、きらきらと輝けり。車はクロステル街に曲りて、家の入口に駐まり

   ギヨテイ     キザハシ
ぬ。この時窓を開く音せしが、車よりは見えず。馭丁に「カバン」持たせて梯を

      カ   オリ     ヒトコエ ウナジ イダ
登らんとする程に、エリスの梯を駈け下るに逢ひぬ。彼が一聲叫びて我頸を抱

    ヒゲ
きしを見て馭丁は呆れたる面もちにて、何やらむ髭の内にて云ひしが聞えず。

    ヨ       キ タマ
 「善くぞ歸り來玉ひし。歸り來玉はずば我命は絶えなんを。」

    オモ
 我心はこの時までも定まらず、故郷を憶ふ念と榮達を求むる心とは、時として

      セツナ  テイクワイチチユウ  オモヒ
愛情を壓せんとせしが、唯だ此一刹那、低徊踟※の思は去りて、余は彼を抱き、
※「足」の右に「厨」

    カシラ       ヨ
彼の頭は我肩に倚りて、彼が喜びの涙ははらはらと肩の上に落ちぬ。

      ドラ
 「幾階か持ちて行くべき。」と鑼の如く叫びし馭丁は、いち早く登りて梯の上


に立てり。

     ネギラ
 戸の外に出迎へしエリスが母に、馭丁を勞ひ玉へと銀貨をわたして、余は手を

    イチベツ
取りて引くエリスに伴はれ、急ぎて室に入りぬ。一瞥して余は驚きぬ、机の上に

      モ メン       ウズタカ
は白き木綿、白き「レエス」などを堆く積み上げたれば。

ユビサ
 エリスは打笑みつゝこれを指して、「何とか見玉ふ、この心がまへを。」とい

      ムツキ
ひつゝ一つの木綿ぎれを取上ぐるを見れば襁褓なりき。「わが心の樂しさを思ひ

      ウマ     ヒトミ
玉へ。産れん子は君に似て黒き瞳子をや持ちたらん。この瞳子。嗚呼、夢にのみ


見しは君が黒き瞳子なり。産れたらん日には君が正しき心にて、よもあだし名を

       カウベ ヲサナ
ばなのらせ玉はじ。」彼は頭を垂れたり。「穉しと笑ひ玉はんが、寺に入らん日


はいかに嬉しからまし。」見上げたる目には涙滿ちたり。

アヘ トブラ
 二、三日の間は大臣をも、たびの疲れやおはさんとて敢て訪はず、家にのみ篭

      ツカヒ     ロ
り居しが、或る日の夕暮使して招かれぬ。往きて見れば待遇殊にめでたく、魯

シ ヤ
西亞行の勞を問ひ慰めて後、「われと共に東にかへる心なきか、君が學問こそわ


が測り知る所ならね、語學のみにて世の用には足りなむ、滯留の餘りに久しけれ

  ケイルイ
ば、樣々の係累もやあらんと、相澤に問ひしに、さることなしと聞きて落居たり

  ノタマ     ケ シキ      イツハリ
と宣ふ。其氣色辭むべくもあらず。あなやと思ひしが、さすがに相澤の言を僞

    スガ       ヒ
なりともいひ難きに、若しこの手にしも縋らずば、本國をも失ひ、名譽を挽き


かへさん道をも絶ち、身はこの廣漠たる歐州大都の人の海に葬られんかと思ふ念、

      ツ     オコ        ウケタマ   ハベ     コタ
心頭を衝いて起れり。嗚呼、何らの特操なき心ぞ、「承はり侍り」と應へたるは。

  ヌカ
 黒がねの額はありとも、歸りてエリスに何とかいはん。「ホテル」を出でしと

  タト
きの我心の錯亂は、譬へんに物なかりき。余は道の東西をも分かず、思に沈みて

      シッ
行く程に、往きあふ馬車の馭丁に幾度か叱せられ、驚きて飛びのきつ。暫くし

   カタハラ   ベ コシカケ ヨ
てふとあたりを見れば、獸苑の傍に出でたり。倒るゝ如くに路の邊の榻に倚りて、

ヤ ツチ   タフハイ
灼くが如く熱し、椎にて打たるゝ如く響く頭を榻背に持たせ、死したる如きさま

    イクトキ    スグ       ハゲ     テッ
にて幾時をか過しけん。劇しき寒さ骨に徹すと覺えて醒めし時は、夜に入りて雪

ヒサシ
は繁く降り、帽の庇、外套の肩には一寸ばかりも積りたりき。


 最早十一時をや過ぎけん、モハビツト、カルヽ街通ひの鐵道馬車の軌道も雪に

ウズ       ホトリ ガス
埋もれ、ブランデンブルゲル門の畔の瓦斯燈は寂しき光を放ちたり。立ち上らん

サス
とするに足の凍えたれば、兩手にて擦りて、漸く歩み得る程にはなりぬ。

   ハカド   ハンヤ
 足の運びの捗らねば、クロステル街まで來しときは、半夜をや過ぎたりけん。


こゝ迄來し道をばいかに歩みしか知らず。一月上旬の夜なれば、ウンテル、デ

    ニギ
ン、リンデンの酒家、茶店は猶人の出入盛りにて賑はしかりしならめど、ふ

      ユル
つに覺えず。我腦中には唯々我は免すべからぬ罪人なりと思ふ心のみ滿ち滿ちた


りき。

イ オ   ケイゼン
 四階の屋根裏には、エリスはまだ寢ねずと覺ぼしく、烱然たる一星の火、暗き

サギ タチマ オホ
空にすかせば、明かに見ゆるが、降りしきる鷺の如き雪片に、乍ち掩はれ、乍ち

    アラハ   ツカレ
また顯れて、風に弄ばるゝに似たり。戸口に入りしより疲を覺えて、身の節の痛

ハ       ハウチュウ   ヘヤ
み堪へ難ければ、這ふ如くに梯を登りつ。庖厨を過ぎ、室の戸を開きて入りし

ヨ     ムツキ ヌ
に、机に倚りて襁褓縫ひたりしエリスは振り返へりて、「あ」と叫びぬ。「い


かにかし玉ひし。おん身の姿は。」

  ウベ       サウゼン
 驚きしも宜なりけり、蒼然として死人に等しき我面色、帽をばいつの間にか失

オド ツマヅ
ひ、髮は蓬ろと亂れて、幾度か道にて跌き倒れしことなれば、衣は泥まじりの雪


に汚れ、處々は裂けたれば。

      ヒザ シキ   ヲノノ
 余は答へんとすれど聲出でず、膝の頻りにを戰かれて立つに堪へねば、椅子を

ツカ
握まんとせしまでは覺えしが、其まゝに地に倒れぬ。

  スシュウ     ハゲ     ウハゴト
 人事を知る程になりしは數週の後なりき。熱劇しくて譫語のみ言ひしを、エ

     ネモゴロ       テンマツ  ツバ
リスが慇にみとる程に、或日相澤は尋ね來て、余がかれに隱したる顛末を審ら

    ツクロ オ
に知りて、大臣には病の事のみ告げ、よきやうに繕ひ置きしなり。余は始めて病


牀に待するエリスを見て、其變りたる姿に驚きぬ。彼はこの數週の内にゐたく

    タスケ タツキ
痩せて、血走りし目は窪み、灰色の頬は落ちたり。相澤の助にて日々の生計には


窮せざりしが、此恩人は彼を精神的に殺しゝなり。


 後に聞けば彼は相澤に逢ひしとき、余が相澤に與へし約束を聞き、またかの夕

      ニハカ ヲド
べ大臣に聞え上げし一諾を知り、俄に座より躍り上がり、面色さながら土の如

   アザム   タフ
く、「我豐太郎ぬし、かくまでに我をば欺き玉ひしか」と叫び、其場に僵れぬ。

    タス       フセ
相澤は母を呼びて共に扶けて床に臥させしに、暫くして醒めしときは、目は直視


したるまゝにて傍らの人をも見知らず、我名を呼びてゐたく罵り、髮をむしり、

      ニハカ   モト
蒲團を噛みなどし、また遽に心づきたる樣にて物を探り討めたり。母の取りて與

  コトゴト ナゲウ
ふるものをば悉く抛ちしが、机の上なりし襁褓を與へたるとき、探りみて顏に押


しあて、涙を流して泣きぬ。

   ホトンド      チ
 これよりは騷ぐことはなけれど、精神の作用は殆全く廢して、其痴なること

アカゴ
赤兒の如くなり。醫に見せしに、過劇なる心勞にて急に起りし「パラノイア」と

       テンキヤウイン
いふ病なれば、治癒の見込なしといふ。ダルドルフの癲狂院に入れむとせしに、

イダ
泣き叫びて聽かず、後にはかの襁褓一つを身につけて、幾度か出しては見、見て

  キ キヨ
は欷歔す。余が病牀をば離れねど、これさへ心ありてにはあらずと見ゆ。たゞを


りをり思ひ出したるやうに「藥を、藥を」といふのみ。

      イ    カバネ       チスヂ ソソ
 余が病は全く癒えぬ。エリスが生ける屍を抱きて千行の涙を濺ぎしは幾度ぞ。

  ミチ     ハカ
大臣に隨ひて歸東の途に上ぼりしときは、相澤と議りてエリスが母に微かなる生


計を營むに足る程の資本を與へ、あはれなる狂女の胎内に遺しゝ子の生れむを


りの事をも頼みおきぬ。


 嗚呼、相澤謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我腦裡に一點の


彼を憎むこゝろ今日までも殘れりけり。


            (明治二十三年一月「國民之友」第六卷六十九號附録)


※「窓」……「心」の上が「窗」
※「帽」……「冒」の部分が、上から「勹」「二」「目」
※「珈琲」……「王」の部分に「口」

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