正妻と愛妾(あいしょう)が同居する旧社会の愛憎生活を描いた中国映画「紅夢(原題・大紅灯籠高高掛)」は、山西省の省都・太原市から約50キロ離れた祁県に残る清末の旧家「喬家大院」で撮影された。張芸謀・監督、女優・鞏俐(コン・リー)主演の同映画は、1991年のベネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞したこともあってヒット、「喬家大院」は一躍、全国的な観光名所になった。1本の映画が特定の建築物を有名にした、中国では数少ない例として今も語り草だ。
「映画のおかげで多くの人が訪れるようになった。映画の中で欠かせない赤い提灯(ちょうちん)も正月だけでなく、いつも掲げるようにした」。見学客でにぎわう邸内の一角で、劉立本さん(66)はそう語った。
同邸宅は86年11月から山西祁県民俗博物館として一般公開されている。映画ロケ当時の館長だった劉さんは「90年9月から3か月かかった撮影で、張監督が、大雪が降るのをずっと待っていたのが記憶に残っている。当時は観光客は少なく、撮影のため全館を閉鎖する必要はなかった」と振り返る。劉さんによれば、開館以来、70か国・地域から700万人余りが同館を訪れた。中央の指導者も江沢民国家主席ら約30人が来館したという。
「喬家大院」は金融資本家として財を成した喬家の邸宅だった。敷地面積8724・8平方メートル、部屋数313、大小の庭が25もある。最盛時で一族約60人が住み、使用人は240人を数えた。高さ10メートル余りの塀に囲まれた、伝統的な中国北方の建築様式だ。18世紀、創業者の喬貴発の代から、最盛期を迎えた孫の喬致庸(1818―1907)の代まで数代にわたり増築され、現在の形になった。「皇帝の住まいなら紫禁城(北京の故宮)を、民間の屋敷なら喬家を見よ」と言われるほど、個人住宅としては見事な出来栄えだ。
60年代後半の文革時代には地元の党幹部学校として使われ、武闘派紅衛兵の襲撃を受けそうになったが、門番が「国家の財産を壊したいのか。責任者は名乗り出ろ」とカギの束を地面に投げつけて一喝、あまりの勢いに紅衛兵は立ち去り、難を逃れたという。
映画は当時29歳だった作家・蘇童の作品「愛妾成群」を元にしているが、張監督は小説になかった鮮やかな赤い提灯を随所に登場させ、主人と夜をともにする夫人の部屋だけに提灯がともされる儀式を盛り込んだ。「視覚的効果と、主人公・頌蓮ら女性たちの悲惨な運命を引き出すことを狙った」と張監督が語るように、小道具も作品の成功の決め手となった。
ただ、実在の喬氏は小説の旦那(だんな)と違い、家訓「不准納妾(愛人を囲ってはいけない)」に従って愛妾を持たない堅実な生き方を貫いたようだ。
「晋商(山西商人)」の呼び名が示すように山西省を指す「晋」は、古代から金融業の栄えた地として知られ、清代は政府の金庫番的存在だった。喬家は現代の銀行の前身である両替貸付業「票号(ピアオハオ)」の経営で成功、貯蓄・貸付業務に加え、全国に支店網を広げ送金業務も担当した。中国初の票号だった「日昇昌」の建物は祁県から車で30分ほど離れた城壁都市・平遥の一角に今も残り、博物館として一般公開されている。
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[紅夢(大紅灯籠高高掛)] 1991年作。1930年代、主人公の大学生、頌蓮(19)が父親の急死のため、50代の地主に第4夫人として嫁ぎ、本妻や第2、第3夫人らと葛藤(かっとう)を演じ、最後は精神的に破滅する。台湾資本が投入され、初の中台合作映画となった。製作は、台湾を代表する監督、侯孝賢氏。赤い提灯に象徴される張監督独特の大胆な映像美が大きな話題を呼んだ。