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肯綮に中る

作者:未知 文章来源:日本ネット 点击数 更新时间:2004-11-15 20:26:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

 戦国時代の話である。梁の文恵君(恵王)のところに庖丁つまり庖の丁
という料理の名人がいた(いま国語で料理用の刃物を庖丁というのは、
この人の名の転訛したものである)。 彼が牛を料るときの巧みさといっ
たら、牛の体に左手を軽く触れ、左肩をそっと倚せかける、その手の触
れかた、肩のよせかた、さては足の踏んまえかた、膝のまげかたにいた
るまで、まことに見事この上なしで、さて刀を動かしはじめれば、骨と
肉とがサクリと離れ、切りはなたれた肉塊はパサリと地に落ち、さらに
刀を進めればザクリザクリと音をたてて肉がほぐれる。すべてがリズミ
カルで、いにしえの舞楽である「桑林の舞」や「経首の会」を思わせる
ほどであったという。さすがの文恵君も感嘆して、
 
 「あありっぱなものだ。
  技とはいえ、名人ともなればここまでくるものか。」
 
 すると庖丁は刀をわきに置いて一息しながらこう答えた。
 
 「いえいえ、私の志すところのものは『道』でございます。
  技以上のものでございます。
  もちろん私とてもはじめて牛を料ったころは、
  牛そのものに心を奪われて、手もようつけ得ませなんだが、
  三年もするうちに牛の全形などすこしも気にならなくなりました。
  ただいまでは、全く勘をたよりに、
  目で見ずともりっぱにしこなせます。
  つまり五官(耳・目・口・鼻・形)のはたらきがやんで、
  精神のはたらきだけによるとも申せましょう。
  なればこそ、牛の体の自然の理に従って大きな隙間に刃を揮い、
  大きな竅穴に刃を導き、全く無理を致しません。
  ですから今まで一度だって刃を肯綮に当てた事はございませんし、
  ましてや大きな骼に刃をうち当てるようなしくじりなどは、
  思いもよらぬことでございます。」
 
 肯綮の肯とは骨に纏わりついた肉、綮とは筋と骨のいりくんだ場所。
だから「肯綮に中る」といえば、事の急所・要所に触れるという意味に
用いられるのである。
 
 庖丁の名人譚はさらにつづく、
 
 「まあ腕達者な料理人ともなりますれば、
  時たま刃を割く程度でございますから、
  年に一本の刀で事たりますが、
  なまくらの料理人などは、
  えてして刃を骨にうち当て折ってしまうので、
  月ごとに一本の刀が必要でございます。
  ところが私のこの刀は使いはじめてからすでに十九年、
  何千頭の牛を料ったかも覚えませぬが、
  御覧のとおり、
  刃は研ぎたてのようにピカピカで刃こぼれ一つございません。
  それというのも牛の骨筋には、
  おのずからなる隙間というものがございますので、
  厚みのない刃をその隙間に入れるとすればいささかの無理もなく、
  楽に刃を使いこなすことができるわけでございます。
  もちろん私とても筋や骨の族がりあつまっているところに、
  手をつけますときは、
  むずかしいと見てとるとシャンと心をひきしめ、
  じっと目をそそぎ、
  手のはこびを遅くし、
  いと細心に刀を動かします。
  そして急処を切り抜け、
  大きな肉塊があたかも土塊のように、
  ドサリと地上にはなれ落ちるのを見とどけたときには、
  さすがにホッとして刀を手にしたまま立ちあがり、
  四辺を見まわして、
  ゆりと満ち足りた心持で刀を拭い蔵いこむのでございます。」
 
 この話を聞くと、文恵君は重ねて感嘆して言った。
 
 「ああ、なんともはやりっぱなものじゃ、
  わしはいま庖丁のはなしを聞いて、
  養生の道をも会得することができたわい。」
 
 文恵君の会得した「養生の道」とはなんであるか。この物語を書き伝
えた哲人荘子は、この話の前置きにこんなことを書いている。
 
 「われわれ人間の生命には涯があるが、その知欲には涯がない、
  涯ある身を持って涯なき知識・欲望を追求するのは危険なことだ、
  と知りながらもこれに引きずられるのは、
  ますますもって危険なことだ。
  だから善を為すも名利に近づかず、
  悪を為すも刑戮に近づかず、
  善に偏らず悪に偏らぬ無心の境地を守って、
  自然にあることを生活の基本原理とすれば、
  わが身を保ちわが生を全うし、
  親に孝養をつくし、天寿を尽くすことができるというものだ。」
 
 人知のさかしらを捨てて無心に自然へ随順することが「生を養う」根
本の道であり、庖丁の体験談もまたこの自然随順を示唆するのである。
 
 

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