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古 稀

作者:未知 文章来源:日本ネット 点击数 更新时间:2004-11-15 20:29:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

 唐の都長安、その東南のはしに曲江という池があった。池の南には芙
蓉苑という宮苑もあり、風光美しく、春には花をめでる長安市民でにぎ
わった。この曲江のほとりで、杜甫がいくつかの詩を残している。それ
は乾元元年、杜甫四十七歳のころである。
 
 杜甫はこのころ左拾遺の官をえて、宮中に仕えていた。そして、この
一年にみたない月日が、彼が中央に仕えた最初で、最後の日々でもあっ
た。杜甫は年少にして各地を放浪し、三十半ばをすぎて長安にもどり、
官途をもとめた。望みはかなわなかった。やがて、唐朝をゆるがす安禄
山の乱。杜甫は霊武の行在所にいる粛宗のもとに参じようとしたが、乱
軍に捕われて九ヶ月幽閉され、ついに脱出して鳳翔の行在所に赴き、功
により左拾遺に任ぜられた。そして前年の冬、粛宗にしたがって都に還
ったのである。だが粛宗をめぐって渦まく政治は、彼の心に憤りをさそ
うものであったらしい。杜甫は参内もせずに、曲江のほとりにいること
もあった。……曲江のほとりに花をめでる杜甫の脳裏に行き来するもの
はなんだったろうか。その一首にいう。
 
 
  朝より帰りて日々に春衣を典し
  毎日江頭に酔いを尽して帰る
  酒債尋常 往く処に有り
  人生七十 古来稀なり
  花を穿つキョウ蝶は深々として見え
  水に点する蜻テイは款々として飛ぶ
  風光に伝語す 共に流転しつつ
  暫時相い賞して相い違うこと莫からん     (曲江二首の二)
 
 ……日々朝廷から帰れば、春の衣を質草におき、
   曲江のほとりで酔いしれて、帰る。
   酒手の借りなどあたりまえのこと、
   どうせ行く先々にあるものだが、人生はそうながくない。
   昔から、七十まで生きる人は稀なのだ。
   むれ咲く花をぬって飛ぶ蝶は奥ふかくも見え、
   トンボは水に尾をふれつつ、ゆるやかに飛びゆく。
   春の風光よ、言伝えてしよう。
   わしもおまえも、ともに移ろい流れるもの、
   この短い一時は、
   たがいにだいじにしあい、そむきあうことはよそうよ。……
 
 
 この詩のうち最後の二行には、古来さまざまな解釈があり、また「人
生七十古来稀なり」というのは、言伝えられた諺だろうともいう。だが
ともかく、この言葉は杜甫によってみごとに定着され、あるときは哀感
をこめ、また稀な年に達したのを祝う意味にも使われるようになった。
七十歳を古稀というのも、ここから出ている。
 
 
 そして杜甫は……彼にも七十は稀な歳であった。中央に仕えるのも一
年たらずで、地方官に左遷され、その官もやめてふたたび各地をさまよ
う。甘粛省の辺境の町から谷あいの町へ、そして猿の残したドングリで
飢えをしのいだりする。やがて四川の成都でほぼ三年のあいだ、わりに
幸せな日をおくるが、それも破れて、また流浪の生活がはじまる。大暦
三年春、彼ははるか長安めざして、舟を揚子江にうかべ、最後の旅にの
ぼった。だが道はとざされ、舟は水上をさまよいつづけるばかり。大暦
五年の春に、彼は舟中でうたった。……年老いた目にうつる花は霧をと
おすようにかすむ。あでやかな蝶はたわむれつつ、ひっそりした舟の幔
幕をよぎり、おちこちの鴎は、身もかろく早瀬をくだる。雲白く山青い
万余里のかなた、その真北にこそ長安があると、わたしは愁いつつなが
める。……この冬、湘江にうかべた舟の中で杜甫は死んだ。五十九歳。
だが、ながらくの流浪の困難を通じて、彼の詩はただ悲痛というのでは
ない、ふしぎな美しさにみがきあげられ、すでに世の流転をこえるもの
のようであった。
 
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