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鹿を逐う

作者:未知 文章来源:日本ネット 点击数 更新时间:2004-11-15 20:35:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

 漢の高祖の十一年、朝の相国であった陳キが代(山西省代県)で叛旗を
ひるがえした。高祖がみずからその討伐にむかった留守をねらって、か
ねて陳キとしめしあわせていた淮陰侯・韓信が、都で兵を挙げようとし
た。幸か不幸か、ことは事前にもれて、韓信は逆に呂后と蕭何に謀られ
て、長楽宮で非業の死をとげた。
 
 やがて、高祖は陳キをたいらげて凱旋したが、韓信の死をきいて、さ
すがに感慨をもよおした。漢室の禍がのぞかれたのを喜ぶとともに、あ
りし日の韓信の偉大な功績がしのばれたからである。高祖は率然として
呂后に問うた。
 
 「韓信は、最後のときに何か言ったか?」
 
 「はい、カイ通の計りごとを聴かなかったのが残念だと、
  しきりに悔んでおりました。」
 
 カイ通は斉の言論家で、高祖がまだ項羽と天下を争っていたころ、斉
王であった韓信に独立をすすめた男である。
 
 「よし、カイ通をとらえよ。」
 
 まもなくカイ通は斉でつかまり、高祖のまえに引きだされた。
 
 「おまえは、淮陰侯に叛乱をおこせと教えたことがあるか?」
 
 「はい、たしかに教えました。
  でも、あの小僧は私の策を用いなかったのです。
  だから、あのような最期をとげたのです。
  もし、あのとき、私のいう通りにしていれば、
  陛下といえども、やすやすと平らげることは、
  とてもできなかったでしょうに。」
 
 カイ通はしゃぁしゃぁとしている。高祖は大いに怒った。
 
 「こやつを烹てしまえ!」
 
 「いや、とんでもありません。
  それは冤罪というものです。
  私は、なにも烹られるようなことをした覚えはありません。」
 
 「だって、おまえは韓信に叛乱をすすめたではないか。
  これは大変な罪だ。冤罪であるものか。」
 
 「いや、陛下、どうかお聞きください。
  秦の綱紀がゆるんで、天下は麻のごとくに乱れ、
  英雄豪傑が各地におこりました。
  いわば、秦がその鹿を失ったので、
  天下はあげてこれを逐ったのです。
  そのなかで、陛下は最も偉大であられたので、
  見事にその鹿を射とめられたのです。
 
  さあ、ここです。
  あの大悪党の盗跖の犬が堯に吠えついたからといって、
  それは堯が悪いからではありません。
  犬というものは、自分の主人でないものには、
  すべて吠えつくものなのです。
  あの当時、私は、ただ韓信だけを知っていて、
  陛下を知らなかったのです。
  だから、韓信のがわに立って陛下に吠えついたのです。
 
  天下が乱れれば、
  これを統一して帝位につきたいと思う英傑は数おおくあります。
  つまり、
  陛下がなさったことを為しとげたいと思う人は多いのですが、
  力が足りなくて実現できないだけです。
  それを天下が平定されたいま、
  かつて天下をねらったかどで、いちいち烹ますか?
  とてもできたことではありますまい?
  だから、私にも罪はございません。」
 
 高祖はカイ通を釈した。
 
 
 この話は、「史記」の「淮陰侯列伝」にある。「鹿を逐う」の本文は、
「秦、その鹿を失い、天下ともに之を逐う」である。帝位を「鹿」に例え
たのである。同じ使いかたが「唐詩選」にもある。魏微の「述懐」という
五言古詩の最初の句、「中原還た鹿を逐う」がそれである。「鹿を逐う」
という語は、大利に志す意にも用いる。「淮南子」に、「鹿を逐うもの
は兎を顧みず、千金の貨を決するものは、銖両の価を争わず」とある。
また、利欲に迷う意にも用いる。「虚堂録」に、「鹿を逐うものは山を
見ず、金を攫むものは人を見ず」とある。同じことを「淮南子」には、
「獣を逐うものは、目に太山(泰山)を見ず」とある。
 
 
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