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春宵一刻直千金

作者:未知 文章来源:日本ネット 点击数 更新时间:2004-11-16 16:53:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

 これは、宋代第一流の詩人蘇軾の七言絶句「春夜」の起句である。
 
   春宵一刻直千金、
   花に清香あり月に陰あり。
   歌管楼台声細細、
   鞦韆院落夜沈沈。
 
 蘇軾の号は東坡、父を洵といい弟を轍といい、それぞれ唐宋八家文の
一人として有名である。また蘇軾は有能な官吏として活躍し、その反対
派におとしいれられてしばしば地方官に左遷されるなどした。また学者
としては欧陽脩門下として名をはせ、歴史的立場から古典を解釈し批評
するすぐれた業績を残した。
 
 
 当時はこの蘇軾父子をはじめ、王安石・欧陽脩・司馬光・程明道・程
伊川などという逸材が多く輩出した異彩ある一時期であり、学問と文化
の歴史の上で一つの新しい境地を現出した。当時のこうした代表的人物
たちはいずれも、能吏であり、碩学であり、文豪であって、いろいろな
面に才能をしめし、しかも各自はそれぞれ特徴ある個性の持主ではあっ
たが、その底には共通した考え方や感じ方が流れている。それは人間の
存在、或いは心の活動というものを宇宙の中の一存在として客観的に見
ようと努力したことである。そこから生れて来る彼らの人生哲学は、他
の時代の人たちにくらべ哲学的であり、思索的であり深みがあった。ま
た自我にとらわれるという生き方を、もしくは現象にとらわれ或いはこ
だわりすぎるという考え方を止揚できたから、その生活感情にはのびの
びとしたところがあり、文人気質を持っていた。蘇軾はそういう面で殊
に代表的である。「春夜」の詩にもその生活感情と文人気質が強くあら
われている。
 
 
 過ぎやすい春の夜の一刻一刻を千金の値あるものとして買い取り味わ
っている作者は、ただ「春宵はよいものだなぁ」といっているだけでは
なさそうだ。今すぎてゆく一刻一刻にこそ人生を充足させるすべてがあ
るといっているのであろう。そのすべてとは何か? 花であり、花の清
香であり、それを照らす月であり、その光を映す葉であり、庭のかすか
にゆれる月影であり、寒くもなく暖かくもなく、なまめかしい空気であ
る。人間のあらゆるいとなみがこの刻一刻にくらべて何ほどの価値があ
ろう。
 
 楼台の歌も管弦も院落(庭のこと)に立てば、細く遠くから聞こえてく
る。それは管弦の場所にあって聞き、あるいはみずから歌い弾ずるより
はおもむきがあるというもの。おもむきがあるというよりは作者の心に
深くふれる何かであり、離れて聞こえてくればこそ、その何かがしみじ
みとわかるというものか。
 
 庭の鞦韆は乗る乙女もなくて垂れさがる。垂れさがって動かぬまま、
春の夜は、手をふれればこわれそうなもろい姿をして、沈沈とふけてゆ
く。
 
 
 蘇軾の詩はさわやかで飄逸だといわれる。行雲流水のごとく自然でた
くらみがないといわれる。
 
 
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