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折 檻

作者:未知 文章来源:日本ネット 点击数 更新时间:2004-11-16 16:57:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

 前漢第九代の孝成帝の世。この頃から、中国古代史にしばしば出て来
る宦官と外戚たちが勢力を得、政治までも支配するようになってきた。
孝成帝の時の外戚は王氏で、一族いずれも立身出世し、政治を思う通り
に動かしていた。この有様を見て憤慨したのは南昌(江西省)の長官、梅
福という気骨のある男、帝に上書して言った。
 
 「いま外戚の権力が日に日に盛んとなり、
  そのために漢室の威光は地に落ち、
  帝の威令もサッパリ行われていません。
  陛下はこの実情を何と思召すか。
  先帝以来の忠臣石顕を追放されて以来、
  日食や地震が多く、
  水害に至っては数え切れません。
  あの天下が乱れた春秋時代にさえなかったほどの、
  天変地異のありかたです。
  これは政治が正しく行われていない証拠です。」
 
 だが、帝は一向反省する色もなく、ますます王氏一族を重用し、安昌
侯張禹までが、帝の師である故をもって、政治にまで参画するようにな
った。いままで黙っていた官吏や人民もこの乱脈ぶりには、ついには非
難の声を上げるようになり、帝の許へはその非を諫める上申書が殺到し
た。
 
 さすがの帝も多少あわてて師の張禹の所へ出かけ、これらの上申書を
見せ、「どうしたらよいか?」と相談した。ところがこの禹先生、名前は
むかし黄河の水を治めて聖人とたたえられ、天子にまつり上げられた夏
の禹王と同じだが、その了見は月とスッポンほどにも違う腰抜けのイン
チキ学者、「もしや王氏の一族に恨まれでもしたら……」と心配し、
 
 「恐れながら、
  春秋時代の日食や地震は、
  諸侯が互いに殺し合ったり、
  外敵が侵入したりしたせいであろうかとも思われますが、
  何しろ天変地異の意味は深遠で、
  とてもうかがい知ることはできません。
  ですから聖人孔子も、
  あまりこうしたことには言及しておられませんし、
  性と天道については、
  愛弟子の子貢でさえ教えてもらえなかったほどです。
  それをろくろく学問のこともわからぬ小人どもが、
  とやかくいって人を惑わすとは、
  まったくけしからぬことです。
  そんな輩のいうことなんぞ、
  一切気にされる必要はありません。」
 
 と、まことしやかに答えた。帝も、「なるほど」と思って、一そう王氏
一族や禹を信任した。そこで業をにやした槐里の知事の朱雲という男、
帝の前にまかり出、
 
 「願わくば陛下の御物蔵にある鋭利な剣をいただいて、
  悪人の首をはね、
  ほかの者への見せしめにしたいと思います。
  何とぞお許しのほどを……。」
 
 と願った。帝はたずねた。
 
 「それは一体だれじゃ?」
 
 「安昌侯張禹にございます。」
 
 帝は真っ赤になって怒った。
 
 「黙れ、無礼者、
  おのれは卑しい分際で、
  朕の師を満座の中で良くも侮辱しおったな。
  もはや許さぬ。
  こ奴を引っ立てて首をはねい。」
 
 「ハッ。」と答えた御史(官吏の罪を糾明する役目)はいきなり雲を殿上
から引きずり下ろそうとした。雲は必死に手摺り(檻)に掴まり、なおも
叫んだ。
 
 「陛下、しばらく臣の言うことをお聞き下さい。」
 
 御史も力いっぱい、雲を引きずり下ろそうとする。雲は手すりを離さ
ない。とうとうその手すりが折れ、二人は壊れた手すりもろともドウと
地面へ落ちた。
 
 「臣のこの身はどうなろうともいといません。
  ただ陛下の御代が気に掛かるばかりでございます。
  何とぞご明察のほどを……。」
 
 と血涙にむせびながら訴え続けた。
 
 この有様を見ていた将軍の辛慶忌、雲の態度に打たれたが、パッとそ
のそばへ飛び降り、頭を地面に叩きつけ、額からタラタラ血を流しなが
ら、帝にその無謀を訴え、思い止まるよう諫めた。初めはカッとなった
帝も、二人の国を思う真心に感じ入り、
 
 「朕が悪かった。
  すんでのことに、
  あたら忠臣を失うところであった。
  よくぞ身を挺して諫めてくれた。」
 
 と機嫌を直して奥へ入っていった。
 
 その後、家臣がこわれた手すりを直そうと帝に願い出たところ、
 
 「いや直すには及ばぬ。
  それは直諫の忠臣の記念だ。
  あれを見るたびに、
  当時のことを思い出し、
  政治を正すいましめとしよう。」
 
 と、修理するのを許さなかったので、帝の在位中はそのままにしてお
かれたというが、こんなことぐらいで王氏一族の専横がやむものでもな
く、逆臣王莽に帝位を奪われて、前漢は亡びるのである。
                   (「漢書」朱雲伝、「十八史略」)
 
 
 なお、折檻と同じ意味で「切諫」という言葉が使われているが、これは
「史記」の「主父偃伝」にある、「明主は切諫(厳しい諫言)をにくまない」と
いう言葉から来たものである。
 
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