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糟糠の妻
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作者:未知 文章来源:日本ネット 点击数 更新时间:2004-11-16 16:59:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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『後漢書』の「宋弘伝」に見える《貧賤の交わりは忘るべからず、糟糠 の妻は堂より下さず》という語にまつわる話はこうである。―― 後漢の世祖となった光武帝のもとには、その天下統一のあと、いわゆ る《鉄中の錚々》といわれる人物が数多く集まったといわれるが、この 話も光武帝に事えた一人物の毅然たる態度を示すエピソードである。 光武帝は、自分の姉で未亡人であった湖陽公主が、かねてから大司空 の職にある宋弘に意があることを知った。しかし、いかに光武といえど も、宋弘に対してまともに姉を買ってくれまいかとは言いだしかねた。 そこで、あらかじめ隣りの間に姉の公主を呼んでおいて、宋弘を召し出 した光武帝は、おもむろにこう話しかけた。 「どうかな、 《富みては交わりを易え、貴くしては妻を易う》 ということがあるが、 貴公はそのへんを一体どう思うかな?」 やんわりと光武の姉のことを匂わせられた宋弘は、しかし、はっきり とこう言上した。 「いや、私には 《貧賤の交わりは忘るべからず、糟糠の妻は堂より下さず》 というのがほんとうに思えます。」 宋弘が退出すると、してやられたりと光武は姉の公主をふりむいてい った。 「うむ、どうもあれでは見込みがありませんな。」 人の亭主を横取りしようとした公主も、こうはっきり言われてみては あきらめるほか仕方がなかったであろう。《糟糠の妻は堂より下さず》 の糟糠は、「かす」と「ぬか」のこと、ひどく粗末な食事のことであり、貧 しくて糟や糠のたぐいしか食えずに艱難をともにしてきた妻は、たとえ 後日処を得て富み栄えるようになっても、これを棄てやったり、粗略に 扱ったりはしないということである。
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