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杜 撰
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作者:未知 文章来源:日本ネット 点击数 更新时间:2004-11-16 18:50:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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杜黙という人がいた。詩を作ったが、どうしても韻律に合わない。そ こで物事の格式に合わないもののことを「杜撰」というようになったとい う。撰とは著作するという意味である。 また俗に杜とは《その土地に産れた土産の物》といわれている。たと えば、自分で作った薄くてまずい地酒のことを杜酒という点などは、杜 撰のいわれと同じことだ。 以上は宋の王楙が経籍の異同を考証し、訂正するために書いた「野客 叢書」という本にのっている。 一般に道教は、中国古来の神仙説と、老子の道を融合したものとされ ているが、漢末に仏教が渡来してからこれと衝突、理路整然と書かれて いる仏典に対抗するため、それに似せて経典をつくり、儒教で潤色し、 仏教の大蔵経に対して「道蔵」と名付けた。 宋の釈文瑩が、北宋の雑事について書いた「湘山野録」には、この道 蔵にふれて次のように論じている。 「道蔵五千余巻は、道徳経二巻だけが本物で、のこりは全部蜀 (四川省)の学者杜光庭(唐の末から五代にかけての人、のち に天台山に入って道士となった)が撰したにせものである。 それ以来、とるに足らぬにせもののことを杜撰というように なった。」 「盛文粛公が節神道碑を作り、その碑文の撰をした。ある人が 《どなたの撰ですか》とたずねたところ、盛はあわてて《度 の撰だ》と答えたため、満座の人が大笑いをした。文粛は杜 黙より前にいた人だから、杜撰という言葉のいわれは相当古 いといえよう。」 また明の徐渭の詩話「青籐山人路史」には、次のような話がのってい る。 「杜という字の音はもともと土と同じだったのが、のちに土の 代りに杜を用いるようになった。いまの人は専ら一つのこと ばかり知って、全般的なことのわからぬ者のことを士気とい っているようだが、これすなわち杜である。」 以上のように、杜撰とは、基づく所がなく、うその多いことをいって いたが、最近では、とくにあやまりの多い著作のことをいうようになっ た。
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