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飛んで火に入る夏の虫

作者:未知 文章来源:日本ネット 点击数 更新时间:2004-11-16 18:56:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

これはみずから滅亡をまねくこと、禍わに身を投じていくことにたと
えられ、よく博徒のけんかなどの科白に、
 
 「飛んで火に入る夏の虫たァおめえのことだ、
  しゃらくせい、
  やろうどもたたんじめえ。」
 
などというのがあるが、もとの話はちょっとちがい、『梁書』の「到漑
伝」に出ている。
 
 
 梁の到漑は字は茂灌といい、謹直で聡明、学に秀でて高祖の信任が厚
かった。鏡という息子があったが早世して、孫のジンが後をつぎ、やは
り聡明で高祖のお気に入りであった。
 
 ある時ジンが高祖に従って京口(江蘇省鎮江県)の北願楼に登り、詩を
賦すよう命ぜられて直ちにたてまつったところ、高祖はそれを見て、漑
に示し、
 
 「ジンはなかなかの才子だ。
  そこで思うのだが、
  おまえのいままでの文章は、
  どうもジンの手を借りているのじゃないかね。」
 
 といって、漑につぎのような文章を賜わった。
 
 「研に墨を磨りて文を騰え、
  筆は毫を飛ばせて信を書するも、
  飛蛾の火に赴くが如くして、
  あに身を焚くをトドむべけんや。
  必ず耄年にそれ已に及ぶ。
  まことにこれを少ジンに仮せ。」
             (これが「飛んで火に入る夏の虫」の出所)
 
 おまえももうすっかり老人になった。いくら苦心して名文を作ったと
ころで、自分の損になるばかりだ。もうかわいい孫に名をゆずってやり
なさい、とでもいうところである。
 
 
 漑が湘東王の繹に仕えていたころ、高祖は王に言ったものである。
 
 「漑はおまえに仕えているような人物ではない。
  おまえの先生なんだ。
  なにかの時はいつもきっと相談しなさいよ。」
 
 だいたい、漑は身の丈は八尺もあり、威風堂々として挙措も端正であ
った。それに清廉潔白で事にのぞみ、みずから修業につとめて倹約をむ
ねとしていた。室はがらんとしてこしかけが一つきり、侍女もおくわけ
ではなく、賜わった車服以外はきらびやかにすることなく、かぶり物、
履き物は十年に一ぺんかえるきり、出仕の服でもつぎが当ててあり、天
子出御のための通行止めにひっかかると、朝官のしるしを見せるといっ
たぐあいであった。
 
 高祖は漑が特にお気に入りで、いつも将棊の相手をさせ、日暮れから
暁け方に及ぶこともまれでなかった。漑の家の庭の築山に変った石があ
ったので、高祖はたわむれにこの石と『礼記』一部とを賭けさせたとこ
ろ、漑がすっかり負けてしまったが、一向に差し上げない。そこで帝は
賭けたものを早くもってくるようにと漑に催促した。漑は、陛下にお仕
え申し上げている身が、何で礼(礼記とかけていった)を失うことができ
ましょう、とこたえたので、帝も大笑いしたというのである。
 
 漑の一家はみなむつまじく、特に漑と弟の洽とは仲がよくて、はじめ
のころいつも一緒にいた部屋を、洽がなくなると寺へ寄進し、自分は終
身なまぐさをとらず、朝夕僧をよんで供養したといわれている。
 
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