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年々歳々花相似たり

作者:未知 文章来源:日本ネット 点击数 更新时间:2004-11-16 18:59:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

 初唐の頃の詩人劉廷芝は、詩を作ろうとして苦吟していた。
 
 「今年花落ちて顔色改まり、明年花開くとき復た誰か在る」
 
 という句を得たが、あんまり縁起のいい句ではなかったので捨てよう
とした。しかるに更に頭を捻っている内に、こんどは、
 
 「年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず」
 
 という句を得た。《ふむ、この句があるなら前の句も並用して活きて
くるわい》 というわけで、この二つの区を中心にして作り上げたのが
有名な、「白頭を悲しむ翁に代わる」と題する下の詩である。
 
   洛陽城東桃李の花
   飛び来たり飛び去って誰が家にか落つる
   洛陽の女児顔色を惜しみ
   行く行く落花に逢って長く嘆息す
   今年花落ちて顔色改まり
   明年花開くとき復た誰か在る
   己に見る松柏の摧かれて薪と為り
   更に聞く桑田の変じて海と成るを
   古人復た洛城の東に無し
   今人復た対す落花の風
   年々歳々花相似たり
   歳々年々人同じからず
   言を寄す全盛の紅顔子
   応に憐れむべし半死の白頭翁   (後略)
 
 
   ここらあたり洛陽の城東は今春の初めで、桃や李の花盛り、
   その花びらが、風のまにまに、どこかの家へ散ってゆく。道を
   行きながら、洛陽の女が、散り落ちる花を眺めて、ホゥッと深
   い溜め息をもらしたが、年とともに衰えてゆく容色をいとおし
   んでのことであろう。考えてみれば、今年こうやって花が散り
   落ちれば、それだけ私達も容色が衰えてゆく理であって、来年
   再び花開くとき、今年この花を見た人々のうち、誰が生き残っ
   ていることだろう? 古人は、「墓標にと植えてあった松や柏
   のような常緑樹さえも、いつしか薪に伐られ摧かれ、墓所のあ
   りかも解らなくなってしまった」と嘆いているし(漢代の作、
   古詩十九首中の句)、更に、「かつては桑田であったところが、
   いつしか海となり、海となったところが、いつしかまた桑田と
   なり、僅かな間に三度も変わった」(晉・葛洪作「神仙伝」)
   という嘆声も聞いているが、まことに、常住不変のものは何も
   ないのだ。現に、洛陽城東でこの桃や李の花を楽しんでいたで
   あろう古人は、今はもう誰もいず、ただ、今の人たちばかりが、
   古人と同じように、花を散らすこの風に対しているだけなので
   ある。年々歳々花を見る人の方は替わってしまう。―――そこ
   で、今を盛りの紅顔の少年諸君よ、その髪は諸君と同じように
   紅顔の少年であったこの人、今や死期も間近いこの白頭の翁は、
   まことにお気の毒ではないか、
   諸君はそうは思わないだろうか?)
 
 と、老いの哀しみと人生のうつろいやすさを嘆いている。ところがこ
の詩は劉廷芝の作ではなく、その舅の宗之問の作であるという説があっ
て、それにはこんな話がある。
 
 「年々歳々花相似たり云々」の句を廷芝が作って、まだ誰にも見せて
いないことを知った舅の宗之門は、この句にすっかり感じ入っていたの
で、密かに廷芝にこの句を譲ってもらいたいと申し込んだ。廷芝は舅の
ことであるし、一度やむなくこの申し出を承知したが、しかし結局は譲
ろうとしなかった。宗之問は恥を掻いた上、約束を破られたというので
カンカンに憤って、ついに廷芝を土嚢でもって圧殺してしまった。
                          (「唐才子伝」)
 
 というのである。
 
 この説は何処まで信憑性があるか疑わしいが、昔からこの名詞句にま
つわる一つのエピソードとして見るならば興味がある。なお宗之問作と
されるものは、第三句「洛陽」が「幽閠」、第四句「行く行く見る」が
「坐して見る」など、数カ所に亘って字句の異同がある。
 
 
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