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金融危機

作者:贯通日本… 文章来源:本站原创 点击数 更新时间:2004-5-15 23:14:00 文章录入:totti250 责任编辑:totti250

はじめ 1997年7月3日以降、タイが途方に暮れ変動為替相場制度を行うのを始め、金融ストームがタイから、フィリピン、インドネシア、マレーシア、シンガポール、韓国、日本など数多くの東南アジア国をなめつきました、しかも、その影響が中国台湾、香港、ブラジルにも及びました。アメリカ、英国、日本の株市場までもそのおかげで指数が暴落しました。今度の金融危機は世界じゅうに深い影響を齎し、タイ、韓国、マレーシアなどの国の貨幣システムの崩壊という災いを引き起こしました。その余波はまだ続けていて、とくに東南アジアの各国に影響を与えました。徹底的にそれから抜け出すには、相当な時間がかかると思います。 序論 危機の由来 今度の金融危機というと、一人の実力を持っている貨幣投機商人の姿が思わず私たちの目の前に浮かんでくるでしょう。ソロス、ただいま彼は数え切れないほどの人に憎まれています。でも、もっとも面白いのが、法律の面から見れば、彼は何の法律も違反していなかったし、暴力、賄賂などの汚い手段も使わなかったです。ただ貨幣を株のように売買して、政府が手を上げ、貨幣を切り下げるまで手を止めませんでした。すると、その中から気楽に物凄い利潤を得ました!ですから、国際金融学者たちはこの目が鋭いアメリカ人を「国際金融界の悪戯子」と呼んでいます。今回の東南アジア金融危機の国際経済背景はいったいなんですか、どういうふうに始めて、発展して、そして結果は何ですか。ここで私たちは西洋経済学者の鋭い目を貸して、一つの明瞭な答えを捜しましょう。危機が起こる前、去年の六月九日、スイスのバサイル国際清算銀行が年一回の結算レポートの中で「世界経済状況は上回りしている、けれども金融市場に隠れる危機がある」とはっきり書いてあります。「国際市場の規模が広がり、国際間に流れている資本が激増していて、合わせ て7.2兆アメリカドル以上にも達しました、毎日平均で一兆余りのアメリカドルが活動している。」とこのレポートが深刻に示してあります。国際株市場が非常に活躍、投資ブームの騰貴、経済高度発展の東南アジア国家の株市場、不動産業が活躍しすぎ、物凄く大量の借款によって本国経済の発展の成長に刺激を与えました。こんなスピードを求めすぎなやり方は東南アジア各国経済発展にバブルが生ずる直接の原因となりました。これこそ東南アジア各国を損なった真犯人だと思います。歴史の原因で、東南アジア経済発展が西洋各国より半世紀も遅れてしまいました。この国々は一時に奇跡のように発展してくるのが事実ですが、10年、20年でイギリス、アメリカなどの先進国が200年も使って完成した工業化の道を走り抜けるつもりなんてまさに自動車に乗って飛行機を追いかけるように、スピードだけを求めば、自ら災いを招くに決まっています!正しいやり方は自動車にも翼を付けるのだと思います。東南アジアは西洋に比べて各国の工業基礎それほど厚くないし、技術も遅れるし、経済、金融組合もかなり弱いで、いろいろ隙間が存在するのが当たり前のことです。でも、こういう国家のリーダたちが自分の国の経済の高度成長しか見えななっかた、前途にあるいろいろな罠を見過ごしてしまいました。盲目的に発展のスピードを求めていて、自分に一つ一つのバブルを負わせました。その結果は言うまでもないでしょう。こういうバブルの中に、「株市場バブル」、「不動産業バブル」、「短期外債バブル」などがあり、当時は極めて美しかったですが、一旦消えたら、痛みと自責しか残らなかったのです。 第一章思考 数ヶ月の中に、東南アジアはどうして世界中経済発展の一番速いところからこんな羽目になったのですか。実は東南アジア全体のマクロ経済の水準がそれほど悪くなかったのです。1996年まで、それらはかなり高い経済成長率を保っていて、インフレ率にはまだ余裕がたくさんありました。且つ、政府の財政支出にもバランスを取っていました。 しかし、問題は外部のバランスにありました。前の言った通りに、東南アジア各国の経済は本質からいえば外向けの外向型の経済で、外部のバランスは経済システム全体の方向にかなり関係しています。90年代の中頃、東南アジア各国の外部環境と国内状況には幾つかの大事な変化が出ました。こういう変化に対して、それら自身が情勢に間に合わなく、投機者に睨まれました。先ずは東南アジア各国が適時に為替相場を調整できなかったのです。80年代東盟四国の経済が高度成長期に入ってから、外部経済の変動による波動を避けるため、為替相場ではアメリカドルが主としての貨幣政策を採用しました、変動の幅が極小さかったです。過去十年の間、アメリカドルが日本円、ドイツマークに対して落ちつつあって、強い日本円がどんどん市場に流れてきましたから、その中の大分が投資或いは貸金として東南アジア各国に流れていきました。アメリカドルが安くなってくるのによって、この国の輸出価格が安くなり、輸出額が増える一方でした。しかし、1995年から、アメリカドルがドイツマークに対する為替相場が迅速に回復してきました、1997年になると、ドルが日本円より50%、マークより30%も高くなりました。それに従って、アジア各国の貨幣も高くなってきました。でも、その貨幣自身が上昇する実力を持っていないから、その圧力が輸出競争力に移されました。輸出額が大幅に減少する同時に、輸入額が増加してきました。そして、1996年の下半年から、電子製品の価格が安くなってきて、輸出が主に電子製品であるタイ、マレーシア、シンガポールに対してこれも手痛い打撃でした。1997年上半年、タイの輸出額の増加はゼロになりました。アメリカドルと連結していると同時に、国内はずっと高い利率政策を行っています。しかし、ここ数年来アメリカは却って低い利率制作を行っています。その上に東南アジア各国は迅速に資本市場を外に開放しました。すると、大量の外資が入ってきました、その中に伝統的な直接投資もありますが、最も多いのが株、貸金のような短期外債で、大分は日本からの貸金です(日本当時国内の利率はただ2.5%)。金融市場がどんどん熱くなってくるのを見て、地元の政府が案外喜んで、前途には光が満ちていると確信して、より広く資本市場を開放しました。短期外債が短期の報いを求めるため入ってきたのです。そこで、株、不動産市 場は自然に投機商人の一番目の選択肢になりました。そのため、過去の数年間、バンコクのようなところに資産が急速に膨張し、株市場が騰貴し、各国の政府は盲目にそれぞれ自分の遠大な計画を出しました。経済過熱の現象が酷かったです。 1993年以降、東盟四国経済の外部バランスには二つの赤信号が現れました。一つは5年を続けて経常収支に赤字が出ました、赤字は国内総生産の約4%―8%を占めました。もう一つは、負債の償還比率(毎年輸出額における返済の比重)が高くなる一方でした。マレーシアを除いて、殆どは国際警戒線の25%でした。国際金融協会と国際清算銀行のレポートによって、1996年だけ、アジアの新興発展途上国(日本を除く東南アジア全体)に流れていく資本は1418億アメリカドルでした。1996年末、日本の銀行のここへで貸金の残高は1140億ドルで、ヨーロッパ銀行は1160億ドルでした。1990年タイの外債がただ200億ドルでしたが、1997年に入ったら、900億ドルに跳びました。コストが上がるから、1994年以降東南アジアで外国からの直接投資が停滞しました。従って、直接投資が固定資産になる比重が低くなる一方でした。また、国家全体の投資はやはり高いスピードで増えていて、国内総生産も約8%のレベルで増えています。投資がこのように高く積み重ねていて、国民の貯蓄のほか、もう巨額の外債を貸すより仕方がありませんでした。そして、銀行システムの管理に手抜かりがたくさんありますから、多くの貸金が不動産業に投入しました。1997年末、タイ、フィリピン、インドネシア、マレーシア、シンガポールの銀行の不良債権が730億ドルに達しました。不良債権がこの五つ国の銀行貸金総額の15%を占めて、国内総生産の約13%に相当しました。また、各国の金融制度が相当ルーズでした、例えば、過去10年の間銀行の貸金が年毎に増えるのに対して、タイの中央銀行の貸金準備金が却ってずっと減少していました。AMIは1996年にかつてタイ、マレーシア、インドネシアに警告を出しました。残念ながら、各国のリーダたちが外部経済のバランスには十分注意していなかった、その警告を見過ごしてしまいました。投機者が東南アジア各国の貨幣を攻撃する時、各国の中央銀行は為替相場を守るため、高い利率制度を行いました、そうすると本来手こずる銀行不良債権問題により深く影響を与えました。不動産業が繁栄しすぎ、バブル現象が余すところなく暴露されました、大量の外資が相続いて引き上げられました。そして、アメ リカドルに対する需要が急に上がるようになって、為替相場に与える圧力がもっと重くなりました。最後、中央銀行は為替相場を干渉する政策を放棄せざるを得なくなってしまいました。ですから、今度の金融危機の本当の原因が二つあると思います。 1.AMIとアメリカがずっと強調している国内のマクロ経済の管理の問題。この面から見れば、東南アジア各国の問題は経済過熱、貿易入超が多すぎという点にあります。国際収支のバランスを取るため、1994年以降東南アジアの各国が資本市場をもっと大きく開放して、短期資本を利用して貿易入超の穴を埋めようとしたかったのです。しかし、短期資本が入ってきったら、株と不動産業しか選べなかったので、株と不動産市場のバブルが生じました。コストが上がり続けて、輸出競争力がかなり落ちました。それで、この国の貿易入超多くなる一方で、外債を貸すほか方法ありませんでした、ここの外債は主に短期商業貸金を指しています。この時期、短期資本の流れはこの国の為替相場に激しい影響を与えられます。ついに国際投機資本の攻撃で、バブル崩壊、経済全体のバランスが失われました。 2.東南アジア各国が強調している投機資本の不良債権の問題。東南アジア各国の経済が過熱だけに、その上国際収支も不安定し、アメリカの投機基金に絶好のチャンスを与えました。彼らは莫大な資金と金融工具を利用して、タイのような薄い環節に打撃を与えて、連帯反応を起こしました。実はこの両方は繋がっているのだと思います。東南アジア地域のマクロ経済問題を注意しただけに、国際投機者が手を出すのです。そして彼らの攻撃で、東南アジアに齎したマイナスの影響が、その国々自身の問題よりずっと深かったです
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