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夏目漱石作品赏析:《梦十夜》之第九夜(中日对照)
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作者:来源 文章来源:考试大 点击数 更新时间:2015-7-8 15:32:20 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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日文: 世の中が何となくざわつき始めた。今にも戦争が起りそうに見える。焼け出された裸馬が、夜昼となく、屋敷の周囲を暴れ廻ると、それを夜昼となく足軽共が犇きながら追かけているような心持がする。それでいて家のうちは森として静かである。 家には若い母と三つになる子供がいる。父はどこかへ行った。父がどこかへ行ったのは、月の出ていない夜中であった。床の上で草鞋を穿いて、黒い頭巾を被って、勝手口から出て行った。その時母の持っていた雪洞の灯が暗い闇に細長く射して、生垣の手前にある古い檜を照らした。 父はそれきり帰って来なかった。母は毎日三つになる子供に「御父様は」と聞いている。子供は何とも云わなかった。しばらくしてから「あっち」と答えるようになった。母が「いつ御帰り」と聞いてもやはり「あっち」と答えて笑っていた。その時は母も笑った。そうして「今に御帰り」と云う言葉を何遍となく繰返して教えた。けれども子供は「今に」だけを覚えたのみである。時々は「御父様はどこ」と聞かれて「今に」と答える事もあった。 夜になって、四隣が静まると、母は帯を締め直して、鮫鞘の短刀を帯の間へ差して、子供を細帯で背中へ背負って、そっと潜りから出て行く。母はいつでも草履を穿いていた。子供はこの草履の音を聞きながら母の背中で寝てしまう事もあった。 土塀の続いている屋敷町を西へ下って、だらだら坂を降り尽くすと、大きな銀杏がある。この銀杏を目標に右に切れると、一丁ばかり奥に石の鳥居がある。片側は田圃で、片側は熊笹ばかりの中を鳥居まで来て、それを潜り抜けると、暗い杉の木立になる。それから二十間ばかり敷石伝いに突き当ると、古い拝殿の階段の下に出る。鼠色に洗い出された賽銭箱の上に、大きな鈴の紐がぶら下がって昼間見ると、その鈴の傍に八幡宮と云う額が懸っている。八の字が、鳩が二羽向いあったような書体にできているのが面白い。そのほかにもいろいろの額がある。たいていは家中のものの射抜いた金的を、射抜いたものの名前に添えたのが多い。たまには太刀を納めたのもある。 鳥居を潜ると杉の梢でいつでも梟が鳴いている。そうして、冷飯草履の音がぴちゃぴちゃする。それが拝殿の前でやむと、母はまず鈴を鳴らしておいて、すぐにしゃがんで柏手を打つ。たいていはこの時梟が急に鳴かなくなる。それから母は一心不乱に夫の無事を祈る。母の考えでは、夫が侍であるから、弓矢の神の八幡へ、こうやって是非ない願をかけたら、よもや聴かれぬ道理はなかろうと一図に思いつめている。 子供はよくこの鈴の音で眼を覚まして、四辺を見ると真暗だものだから、急に背中で泣き出す事がある。その時母は口の内で何か祈りながら、背を振ってあやそうとする。すると旨く泣きやむ事もある。またますます烈しく泣き立てる事もある。いずれにしても母は容易に立たない。 一通り夫の身の上を祈ってしまうと、今度は細帯を解いて、背中の子を摺りおろすように、背中から前へ廻して、両手に抱きながら拝殿を上って行って、「好い子だから、少しの間、待っておいでよ」ときっと自分の頬を子供の頬へ擦りつける。そうして細帯を長くして、子供を縛っておいて、その片端を拝殿の欄干に括りつける。それから段々を下りて来て二十間の敷石を往ったり来たり御百度を踏む。 拝殿に括りつけられた子は、暗闇の中で、細帯の丈のゆるす限り、広縁の上を這い廻っている。そう云う時は母にとって、はなはだ楽な夜である。けれども縛った子にひいひい泣かれると、母は気が気でない。御百度の足が非常に早くなる。大変息が切れる。仕方のない時は、中途で拝殿へ上って来て、いろいろすかしておいて、また御百度を踏み直す事もある。 こう云う風に、幾晩となく母が気を揉んで、夜の目も寝ずに心配していた父は、とくの昔に浪士のために殺されていたのである。 こんな悲い話を、夢の中で母から聞いた。
这个社会逐渐动盪不安,眼看战争即将爆发。好比遭遇空袭无处可归的无鞍马,不分昼夜地在住家四周狂奔,而走卒们也不捨昼夜地勐追马隻一样混乱。可是在住家中却呈现一片死寂。 家中有一个年轻母亲与一个叁岁小孩。父亲出门不知往何方去了。父亲是在一个不见星月的深夜离家的。他是在房裡穿起草鞋,戴上黑头巾,再从厨房后门离家的。那时,母亲手持纸罩蜡灯,灯火细长地在黑夜中晃动,映照出篱笆前那株古柏。 父亲从此没再回来。母亲每天问叁岁的孩子:「爸爸呢?」,孩子无言以对。过一阵子,孩子才学会回说:「那边。」。母亲问孩子:「爸爸什么回来?」,孩子也只会笑着回说:「那边。」。这时母亲也会跟着笑开来。然后母亲反覆地教孩子说:「不久就会回来。」,可是孩子只学会了「不久」这句话。有时问孩子:「爸爸在哪裡?」,孩子会回说:「不久」。 每天夜晚,等人声俱寂后,母亲会繫紧腰带,在腰间插上一把鲛鞘短刀,用细长揹带将孩子揹在背上,再蹑手蹑脚从小门熘出去。母亲总是穿着草屐。孩子在背上听着母亲的草屐声,有时不知不觉便在母亲背上睡着了。 穿过一连串水泥墙围绕的宅邸往西走,再越过漫长的斜坡,即可见一株高大的银杏树。以此为目标右转,往裡走一百多公尺即有座神社的石牌坊。 走在一边是田圃,另一边是丛生的山白竹小径来到此石牌坊后,钻进牌坊便是一大片杉林。再走过叁十多公尺的石板路,便可到一栋陈旧的神殿阶下。 被风雨吹洒成灰白色的捐献箱上,垂挂着一条顶端繫着铜铃的粗绳,白天来的话,可见铜铃旁悬挂着一个写有“八幡宫”的匾额。“八”字像是两隻对望的鸽子,很有趣。其他还有许多信徒献纳的匾额。多是诸侯臣下弓赛中获胜的标的,标的旁刻有射手名字。也有献纳大刀的。 每次躜过石牌坊,总可听见杉树枝头上传来猫头鹰的叫声。当然也夹杂着母亲那破旧草屐的啪嗒啪嗒声。草屐声在神殿前嘎然而止,然后母亲会先拉一下铜铃,再蹲下身击掌合十。 此时,猫头鹰通常会停止鸣叫。母亲再全心全意地祈求夫君平安无事。母亲认为,夫君是武士,因此在弓箭之神的八幡宫拜求,应该没有不应验的道理。 孩子常被铃声惊醒,眼一睁看到四周一片漆黑,有时会突然在背上哭泣起来。这时母亲会一边嘴裡祷告,一边摇哄着背上的孩子。孩子有时会安静下来,有时会哭得更厉害。不管是安静或哭得更厉害,母亲都不会放弃祷告而站起身来。 待母亲为夫君祷告完毕后,会解开腰带,把背后的孩子放下抱到胸前,再登上拜殿,一面哄着孩子说:「乖孩子,你等等喔!」,一面用脸颊抚摩孩子的脸颊。然后把细长的腰带一方绑在孩子身上,另一方绑在神殿的栏杆上。最后走下阶梯来到叁十多公尺长的石板路上,来来回回拜祭踏上一百次。 被绑在拜殿上的孩子,在黑暗的廊上,尽带子所能伸展的长度四处爬动。这种时候,对母亲来说是最轻鬆的夜晚。但若当孩子哭得惊天动地的夜晚,母亲就会焦虑万分,踏石板的脚步更显得急促,时常上气不接下气。真没办法时,也只得半途而废回到殿廊把孩子哄安静后,再下去重踏一百次。 如此让母亲昼夜牵挂,夜晚更不能安眠的父亲,其实早就因流浪武士的身份而丧命了。 这个悲哀的故事,是母亲在梦中告诉我的。
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