打印本文 打印本文 关闭窗口 关闭窗口

夏目漱石作品赏析:《梦十夜》之第六夜(中日对照)

作者:来源 文章来源:考试大 点击数 更新时间:2015-7-8 15:32:23 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

日文:


運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいると云う評判だから、散歩ながら行って見ると、自分より先にもう大勢集まって、しきりに下馬評をやっていた。


山門の前五六間の所には、大きな赤松があって、その幹が斜めに山門の甍を隠して、遠い青空まで伸びている。松の緑と朱塗の門が互いに照り合ってみごとに見える。その上松の位地が好い。門の左の端を眼障にならないように、斜に切って行って、上になるほど幅を広く屋根まで突出しているのが何となく古風である。鎌倉時代とも思われる。


ところが見ているものは、みんな自分と同じく、明治の人間である。その中でも車夫が一番多い。辻待をして退屈だから立っているに相違ない。


「大きなもんだなあ」と云っている。


「人間を拵えるよりもよっぽど骨が折れるだろう」とも云っている。


そうかと思うと、「へえ仁王だね。今でも仁王を彫るのかね。へえそうかね。私ゃまた仁王はみんな古いのばかりかと思ってた」と云った男がある。


「どうも強そうですね。なんだってえますぜ。昔から誰が強いって、仁王ほど強い人あ無いって云いますぜ。何でも日本武尊よりも強いんだってえからね」と話しかけた男もある。この男は尻を端折って、帽子を被らずにいた。よほど無教育な男と見える。


運慶は見物人の評判には委細頓着なく鑿と槌を動かしている。いっこう振り向きもしない。高い所に乗って、仁王の顔の辺をしきりに彫り抜いて行く。


運慶は頭に小さい烏帽子のようなものを乗せて、素袍だか何だかわからない大きな袖を背中で括っている。その様子がいかにも古くさい。わいわい云ってる見物人とはまるで釣り合が取れないようである。自分はどうして今時分まで運慶が生きているのかなと思った。どうも不思議な事があるものだと考えながら、やはり立って見ていた。


しかし運慶の方では不思議とも奇体ともとんと感じ得ない様子で一生懸命に彫っている。仰向いてこの態度を眺めていた一人の若い男が、自分の方を振り向いて、


「さすがは運慶だな。眼中に我々なしだ。天下の英雄はただ仁王と我れとあるのみと云う態度だ。天晴れだ」と云って賞め出した。


自分はこの言葉を面白いと思った。それでちょっと若い男の方を見ると、若い男は、すかさず、


「あの鑿と槌の使い方を見たまえ。大自在の妙境に達している」と云った。


運慶は今太い眉を一寸の高さに横へ彫り抜いて、鑿の歯を竪に返すや否や斜すに、上から槌を打ち下した。堅い木を一と刻みに削って、厚い木屑が槌の声に応じて飛んだと思ったら、小鼻のおっ開いた怒り鼻の側面がたちまち浮き上がって来た。その刀の入れ方がいかにも無遠慮であった。そうして少しも疑念を挾んでおらんように見えた。


「よくああ無造作に鑿を使って、思うような眉や鼻ができるものだな」と自分はあんまり感心したから独言のように言った。するとさっきの若い男が、


「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋っているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」と云った。


自分はこの時始めて彫刻とはそんなものかと思い出した。はたしてそうなら誰にでもできる事だと思い出した。それで急に自分も仁王が彫ってみたくなったから見物をやめてさっそく家へ帰った。


道具箱から鑿と金槌を持ち出して、裏へ出て見ると、せんだっての暴風で倒れた樫を、薪にするつもりで、木挽に挽かせた手頃な奴が、たくさん積んであった。


自分は一番大きいのを選んで、勢いよく彫り始めて見たが、不幸にして、仁王は見当らなかった。その次のにも運悪く掘り当てる事ができなかった。三番目のにも仁王はいなかった。自分は積んである薪を片っ端から彫って見たが、どれもこれも仁王を蔵しているのはなかった。ついに明治の木にはとうてい仁王は埋っていないものだと悟った。それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った。


中文:


风闻运庆(译注:镰仓时代着名的佛像雕凿师)正在护国寺山门雕凿仁王像,于是于散步时顺道绕过去看看,不料在我之前早已聚集了许多慕名而来的人,你一言我一语地议论纷纷。


山门前九、十公尺左右处,有一株巨大的赤松,枝干横生,遮蔽了山门的栋瓦,直伸向遥远的青空。绿松与朱门相映成趣,实为一幅美景。而且松树的位置绝佳,不碍眼地挺立于山门左端,再斜切山门往上伸展,越往上枝叶幅度越宽,并突出屋顶,看起来古意盎然。想见是镰仓时代不错。


可是四周观赏的人,竟与我同样,都是明治时代的人。而且大半都是人力车车夫。大概是等候载客无聊,跑到这裡来凑热闹。


「好大啊!」有人说。


「这个一定比雕凿一般人像还要辛苦吧!」又有人说。


「喔,是仁王。现在也有人在凿仁王啊?我还以为仁王像都是古时凿的。」另一个男子如此说。


「看起来很威武的样子。要说谁最厉害,从古至今人们都说仁王最厉害。听说比日本武尊(译注:大和国家成立初期的传说中英雄)更强呢!」另一个男子插口道。


这男子将和服后方往上折进背部腰带,又没戴帽子,看起来不像是受过教育的人。


运庆丝毫不为围观者的閒言閒语所动,只专心致意挥动着手中的凿子和棒槌。他甚至连头也不回,立在高处仔细雕凿着仁王的脸部。


运庆头上戴着一顶小乌纱帽般的东西,身上穿着一件素袍(译註:镰仓时代的庶民麻布便服)之类的衣服,宽大的两袖被缚在背部。样子看起来很古朴。和在四周喋喋不休看热闹的人群格格不入。我仍旧立在一旁,心裡奇怪运庆为何能活到现在,真是不可思议。


可是运庆却以一付理所当然,不足为奇的态度拼命雕凿着。一个仰头观看的年轻男子,转头对我赞赏道:


「真不愧是运庆,目中无人呢!他那种态度好像在说,天下英雄唯仁王与我。真有本事!」


我觉得他说的很有趣,回头看了他一眼,他立刻又说:


「你看他那凿子和棒槌的力道!真是达到运用自如的境界!」


运庆正凿完约有叁公分粗的眉毛,手中的凿齿忽竖忽横地转变角度,再自上头敲打棒槌。看他刚在坚硬的木头上凿开一个洞,厚厚的木屑应着棒槌声飞落,再仔细一看,仁王鼻翼的轮廓已乍然浮现。刀法异常俐落,且力道丝毫没有迟疑的样子。


「真行!他怎能那样运用自如,凿出自己想凿的眉毛与鼻子的形状?」我由于太感动,不禁自言自语地说着。


刚刚那个年轻男子回我说:


「不难啊!那根本不是在凿眉毛或鼻子,而是眉毛与鼻子本来就埋藏在木头中,他只是用凿子和棒槌将之挖掘出而已。这跟在土中挖掘出石头一样,当然错不了。」


这时,我才恍悟塬来所谓的雕刻艺术也不过是如此。若真是如此,那不管是谁,不是都能雕凿了?想到此,我突然兴起也想雕凿一座仁王像的念头,于是,决定不再继续观赏下去,打道回府。


我从工具箱找出凿子和棒槌,来到后院,发现前一阵子被暴风雨颳倒的橡树,因为想用来当柴火烧,请伐木工人锯成大小适中的木块,被堆积在一隅。


我选了一块最大的,兴致勃勃地开始动工,不幸的是,凿了老半天仍不见仁王的轮廓浮现。第二块木头也凿不出仁王。第叁块木头裡也没有仁王。我将所有木头都试过一次,发现这些木头裡都没有埋藏仁王。最后我醒悟了,塬来明治时代的木头裡根本就没有埋藏仁王。同时,也明白了为何运庆至今仍健在的理由。






打印本文 打印本文 关闭窗口 关闭窗口