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過ちては則ち改めるに憚ること勿れ
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作者:未知 文章来源:日本ネット 点击数 更新时间:2004-11-13 18:55:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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孔子が弟子達に「君子」の心得を教えた言葉 君子不重則不威、学則不固。 主忠信、無友不如己者。 過則勿憚改。 君子重かざれば則ち威あらず、学べば則ち固ならず。 忠信を主とせよ、己に如かざる者を友とすること無かれ。 過ちては則ち改めるに憚ること勿れ。 (「論語」学而篇) 君子は慎重でないと威厳がない、 他から学ぶようにすれば啓発される。 言行に偽りのないようまず心がけること。 他人の、自分より劣った点に狎れるな。 過った場合は改めるのに躊躇してはならぬ。 孔子にとって「過ち」という言葉は、人間の自由意志を越えて客観的 に存在する「道」にそわぬ思惟と行動そのものを意味する。孔子の「過 ちを少なくする」という努力は、「道」という権威に対して、自己を虚 しくすること、我執を去ることに帰着する。 孔子の生涯の夢想は、「従心所欲不踰矩」(心の欲する所に従って矩を 踰えず。)とあり、「思うままに振る舞って「道」に外れない」人間にな ることが目標であった。 過ちを少なくするため、我執を取り除こうと努力することは、夢想の 人間に近づくことで、孔子はこの様な努力をする人を「君子」と呼んで いた。 躊躇は己の考えに執着すること[我執]から生じる。過ちては則ち改 めるに憚ること勿れとは、君子たり得たるための、最も基本的な教えで あった。 現代に生きる私達も自分の間違いを認めることは難しく、自分の考え に固執する人が多い。自分の間違えを訂正することが、躊躇することな く出来ても、間違えが多くては人としての尊厳が保てない。 「過ちては則ち改めるに憚ること勿れ」に触れたら、この言葉の真の 意味を思い起こして欲しい。 「人は言動を慎重にし間違いを少なくしなければ威厳はない、 多くを学べば柔軟な考えが持て、 一つの考えに固執することがない。 自分自身に偽ることなく信念を保ち、 他人の間違った事柄に流されて、 自分自身を見失ってはいけない。 自分自身の言動に間違いを感じたら、 それを訂正することに躊躇してはいけない。」
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