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一葉落ちて天下の秋を知る
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作者:未知 文章来源:日本ネット 点击数 更新时间:2004-11-13 18:57:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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鍋の肉の味をみようする場合に、鍋の中の肉を全部食べなければわか らなぬということはない。その一切れをなめてみれば、鍋の中の肉全部 の味を知ることができるのだ。また、湿気に感じない羽と、湿気をよく 吸う炭とを秤にかけて、空気が乾燥しているか湿気をもっているかを知 ることができる。このようなのは、小さなものをもって大きなものを明 らかにする例である。また梧桐の葉が一枚落ちるのを見れば、年の暮れ に近づいたことがわかるし、瓶の中の水が凍っているのを見れば、世の 中全体が寒くなったことがわかる道理、これは手近なものから遠いもの を推察する例である。 これは前漢の時、淮南王であった劉安が著した『淮南子』という書物 の「説山訓」の章に見える言葉である。この中の「一葉落つるを見て、 歳の将に暮れんとするを知り、瓶中の氷を見て、天下の寒きを知る。」 が、李子卿の「秋虫賦」に「一葉落つ天地の秋」となって見え、「文録 」に唐人の詩として載せられたものに「一葉落ちて天下の秋を知る」と なって出ている。 『淮南子』での意味は、小さな現象から大きな根本を悟らねばならぬ というのであるが、今ではむしろ、小さな兆候から衰え亡びようとする 形勢を察する喩えに用いられている。坪内逍遙の「桐一葉」は片桐の桐 をとると同時に、豊臣家の衰亡の意をこめているのだろう。
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