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一斑を見て全豹を見る
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作者:未知 文章来源:日本ネット 点击数 更新时间:2004-11-13 18:58:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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晉の会稽郡の名門である王羲之には多くの息子がいたが、その息子た ちのうちで、徽之・操之・献之の三人が有名であった。そのうちでも下 の弟の献之が、父の羲之とともに古今に冠絶した書家として、合わせて 二王と呼ばれていることは、今さら事新しく言うまでもあるまい。そし て、「献之は骨力は父に及ばざるも、すこぶる媚趣あり」、つまりなよ なよした美しさがあるといわれている。 その王献之の子供の時の話である。ある日のこと、書生・居候といっ た連中がおおかた庭先の木の下にござでも敷いてであろう、樗蒲をやっ ていた。献之はそれを見ていて、 「南風競わず。」 小父さん、景気悪いね、しっかりやんなよ、と言ったものだ。すると 負けている居候もやりかえした。 「この坊ちゃんもやっぱり管中窺豹で、 豹のまだらの一個しか見えないんですかねえ。」 つまり、管の穴から豹を覗いたって、まだらの一つが見えるだけで、 豹の全体はわからない、ちょっと今の形勢を見たくらいで、坊ちゃんな んかに俺の勝ち負けがわかってたまるもんですかい、とやられてものだ から、坊ちゃんたるもの怒ってしまった。 「遠くは荀奉倩にはじ、近くは劉真長にはじよ。」 何をいうか、お父さんの友達の劉真長さんなんか、ばくちでもって桓 温の悪逆を見抜いたんだぜ、というと、立ち上がって着物のすそを払っ て、さっさと行ってしまったのである。 「管中窺豹」から「一斑を見て全豹を知る(または卜す)」という言 葉ができ、視野が狭いことをいう。晉書巻八十の王羲之伝に見えるが、 同じような言葉として、 「管を以て天を窺い、隙を以て文を見る」(『史記』扁鵲倉公列伝) 「莞を以て天を窺い、蠡を以て海を測る」(『漢書』東方朔伝) などがあるが、いずれも見識の小をいい、「管見」とか「管穴」と同 じで、「よしのずいから天井のぞく」ことである。
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