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蝸牛角上の争い
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作者:未知 文章来源:日本ネット 点击数 更新时间:2004-11-13 19:09:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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戦国時代は中原の諸侯が覇権を争い、弱肉強食の武力抗争に明け暮れ した時代である。この血みどろの現実をひややかにうち眺めて、蝸牛の 角の上での争いにも似たおろかしい行為だと断じ去るのは、同じ時代に 生きた諷刺哲学者荘周(荘子)である。だからその著書「荘子」の「則陽 篇」にあるこの話、発端はまともな歴史的事実を借りているし、登場人 物もおおむね実在の人物ではあるが、結局はやはり荘子一流の寓言―― 作り話として味読すべきである。 梁の恵王は斉の威王と盟約を結んだが、のちに威王がこれに背いたの で、怒ってひそかに刺客を放ち、威王を暗殺しようと計った。恵王の家 来の公孫衍はその計画を耳にすると、暗殺などは恥ずべき卑怯な行為だ と考えて、王の前に罷り出で、堂々と実力をもって斉の国に攻め入りこ れを伐ち懲らすべきだと主張した。もうひとりの家来の季子はその議論 を耳にすると、兵端をひらいて人民を苦しめるのは恥ずべき無道の行為 だと考えて、王の前に罷り出で、 「戦を好む者は国を乱す者、お聴きいれになってはなりません。」 と反対した。もうひとりの家来の華子はそれを聞くと、また眉をひそ めて王の前に罷り出で、こう申しあげた。 「これらの論者はともに国を乱す者でありますし、 これらの論者を評して国を乱す者という者も、 なお是非の分別にとらわれている点において同じく国を乱す者と 言わねばなりません。」 「ふうむ。するとどうすればよいのじゃな。」 「是非の分別を去った『道』の立場から ものをお考えになることです。」 その話をきいた宰相の恵子は時期よしと見て、賢者の聞え高い戴晉人を恵王に引きあわせた。賢者はさっそく王に向かって語りはじめる。 「蝸牛というものがございますが、 ご存じでいらっしゃいましょうな。」 「知っておるとも。」 「その蝸牛の左の角には触氏という者が、 右の角には蛮氏という者が国を構えておりましてな。 お互いに領土を争って戦争をはじめ、死者数万、 逃げる敵を逐うこと十五日にして はじめて鉾を収めたということでございます。」 「なんだ馬鹿馬鹿しい、嘘っぱちの話ではないか。」 「左様。ではこれを真実の話に引きあてて御覧にいれましょう。 一体あなた様は、 この宇宙の四方上下に際限があるとお考えになりますかな。」 「いや際限とてあるまいな。」 「なれば、心をその無窮の世界に遊ばしめる者にとっては、 人の往来交通する地上の国々など有るがごとく 無きがごとくのとるに足らぬものとも言えましょう。」 「うむ、なるほど。」 「その国々の中に魏という国があり、魏の中に梁という都があり、 梁の中に王がおられる。宇宙の無窮に比すれば、 斉を伐とうの伐つまいのと思い迷われる王と、 蝸牛角上の触氏・蛮氏とに どれほどの相違がございましょうかな。」 王は苦笑して言った。 「なるほど、同じことかもしれぬわい。」 戴晉人が退出すると、さすがに恵王もがっかりして気の抜けたような 有様。後から御目通りに出た恵子に向かって、 「あの男は大した人物じゃ。聖人といえども及ぶまいな。」 と嘆息まじりに呟いた。そこで恵子はすかさずこう言った。 「左様でございます。笛は吹けば[ひゅう]と音を発しまするが、 剣の柄の小孔は吹いても[すう]と息が抜けるだけでございます。 世間の人は堯・舜を聖人としてほめそやしますが、 これをあの戴晉人の前に出しますれば、 それこそ[すう]の一息に似て、とてもくらべものになりませぬ。」
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