◆情緒豊かな船遊び
―君がみ胸に抱かれて聞くは 夢の舟歌 鳥の歌 水の蘇州の花散る春を惜しむか柳がすすり泣く――。
上海から車で1時間ほどの距離にある水郷、蘇州を歌った「蘇州夜曲」は、1940年に封切られた東宝映画「支那の夜」の挿入歌だ。主演は船員の「長谷」こと長谷川一夫と、中国人の若い女性役の李香蘭(山口淑子)。当時、アジア随一の国際都市だった上海を舞台にした映画の中で、2人は恋に落ち、結婚する。新婚旅行先の蘇州で船遊びに興じる李香蘭がゆったりした大陸風のメロディーを歌い、甘い雰囲気が盛り上がる――。
西に太湖、北に長江を控えた蘇州は、古くからの観光地。高速道路沿いには、日本や台湾系の外資企業が集まる工業団地が目に付くが、旧市街に入ると、縦横にめぐらされた水路、中国風の古い家屋が並ぶ古い街並みが現れる。船遊びはいまもこの街の代表的な観光コースだ。
「重たい船を動かすのに比べたら観光船はたいしたことないね」。17歳で船に乗って以来、33年間、船で暮らしをたててきた蘇州生まれの船頭、陳志俊さん(50)は、狭い水路で長さ10メートルほどのエンジン付きボートを巧みに操る。水路は1番狭いところに入ると幅6、7メートルしかない。石造りの古い太鼓橋を渡る人々、住宅のところどころはげたしっくいからのぞくレンガ、幸運の到来を願って家の門に張られた「福」の文字、食品や雑貨が雑然と並んだよろず屋――。庶民生活をのぞき見るような風景が飛び込んでくる。
客の好みに合わせて、船の速度を合わせる陳さんいわく、「外国人は古い街が面白いようだけど、中国人は新しくきれいにした観光スポットが気に入るようだね」。1人50元(約650円)と、庶民にとっては安くない船に乗る中国人客は、水の乏しい北方からの旅行客が多い。しばしのぜいたくを楽しむ地元民と、なくしてしまった古い生活をみつけて喜ぶ外国人。各人各様の小さな喜びをみつけられるのが人気の秘けつなのだろう。
作詞、作曲の西条八十と服部良一は、この小さな船旅の楽しみを叙情的な「夜曲」に仕上げた。その後、多数の歌手によってカバーされていることから、この歌のふるさとを尋ねる日本人も少なくないが、地元でこれを知る人は実はほとんどいない。
大陸に勝手に侵略してきた日本人の曲を地元民が喜ぶはずもないのだが、昭和戦時期の歴史研究の一環として戦前の映画を研究した横浜市立大学助教授の古川隆久さんによると、映画「支那の夜」は、当代の美男美女スターを配した“超甘口”の作品で、むしろ当局から「おしかり」を受けたほど。決して国策映画ではなく、上海でもヒットした記録があるという。
そうだとすれば、「夜曲」が描いた情緒は、いまの蘇州の雰囲気にもふさわしい。曲に登場する寒山寺の鐘の音もやさしく耳に響いてくる。