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魯迅詩集

作者:魯迅  来源:魯迅   更新:2004-5-15 23:44:00  点击:  切换到繁體中文

 

魯 迅
魯迅(1881~1936)本名は周樹人。字は予才。号を魯迅、中国の代表的な文学者。浙江省紹興の人。1902年、日本へ留学、日本語を修得しながら哲学に親しむ。1904年仙台医学専門学校に入学 後、国民性改造のため文学を志向し東京にもどる。1909年帰国して教員となる、1918年、狂人日記、孔乙己、阿Q世伝、等発表し中国近代文学を確立した。

  別諸弟三首之二  (1900年)
謀生無奈日奔馳。   生を謀り 日に奔馳するを奈とも無し
有弟偏教各別離。   弟あり 偏に各々して別離せしむる  
最是令人凄絶処。   最も是れ 人をして凄絶せしむる処
孤檠長夜雨来時。   孤檠 長夜 雨の来たる時

  別諸弟三首之一  (1900年)
従来一別又経年。   従来 一別 又 年を経る
万里長風送客船。   万里 長風 客船を送る
我有一言応記取。   我 一言あり 応に記取なるべし
文章得失不由天。   文章の得失 天に由らず

  別諸弟三首之一   (1901年)
夢魂常向故郷馳。   夢魂 常に故郷に向って馳せる
始信人間苦別離。   始めて信じる人間の別離に苦しむを
夜半倚床憶諸弟。   夜半 床に倚って諸弟を憶う
残灯如豆月明時。   残灯 豆の如く月明の時

  吊盧騒    (1928年)
脱帽懐鉛出。  脱帽し 鉛出を懐う
先生盖代窮。  先生 盖し代窮る
頭顎行万里。  頭顎 万里を行く
失計造児童。  失計 児童と造る

  贈□其山   (1931)
廿年居上海。      廿年 上海に居す
毎日見中華。      毎日 中華を見る
無聊才読書。      無聊 才かに書を読む
有病不求薬。      病あり 薬を求めず
一闊臉就変。      一闊 臉 変に就く
所(石+欠)頭漸多。 (石+欠)する所 頭 漸やく多く
忽而又下野。      忽ちにして 又 下野する
南無阿弥陀。      南 無 阿 弥 陀

  題自小像 (1903年)
霊台無計逃神失。   霊台 神失を逃がれるに計無し
風雨如磐闇故園。   風雨 磐の如く故園闇し
寄意寒星筌不察。   意を寒星に寄せる 筌は察せず
我以我血薦軒轅。   我は我が血を以って軒轅に薦めん
               軒轅⇒中国黄帝の名

  送小原君携蘭東帰 (1931年2月)
椒焚桂折佳人老。   椒は焚れ桂は折れ 佳人は老いる
獨託幽巌展素心。   獨り幽巌に託し素心を展ぶ
豈惜芳馨遺遠者。   豈に惜しまんや芳馨の遠者に遺すを
故郷如酔有荊榛。   故郷 酔うが如く荊榛あり
                   荊榛⇒いばらと、はしばみ、雑木の茂み

  無題 (贈升屋治三郎) 1931年3月
春江好景依然在。   春江の好景 依然として在り
海国征人此際行。   海国の征人 此の際行く
莫向遙天憶歌舞。   遙か天に向かい歌舞を憶うこと莫れ
西遊演了是封神。   西遊 演じ了する是れ封神
                       春江⇒黄浦江

  哭范愛農
把酒論天下。   酒を把んで天下を論ずる
先生小酒人。   先生 小酒人なり
大圜猶酩酊。   大圜 猶ほ酩酊し
微酔自沈論。   微酔 自ら沈論す

  無題 (一) (贈宮崎龍介) 1931年6月
大江日夜向東流。   大江 日夜 東流に向う
聚義群雄又遠遊。   聚義の群雄 又た遠遊する
六代綺羅成旧夢。   六代の綺羅 旧夢と成る
石頭城上月如鈎。   石頭城上 月は鈎の如し
                    石頭城⇒南京城

  無題 (ニ) (贈柳原燁子) 1931年6月
雨花臺邊埋断戟。   雨花臺邊 断戟を埋める
莫愁瑚里餘微波。   莫愁瑚里 微波を餘す
所思美人不可見。   美人を思う所 見るべからず
帰憶江天発浩歌。   帰は江天を憶い浩歌を発す

  送増田渉君帰国 (1931年12月)
扶桑正是秋光好。   扶桑 正に是れ秋光 好く
楓葉如丹照嫩寒。   楓葉 丹の如く 嫩寒に照る
却折垂楊送帰客。   却って垂楊を折り帰客を送る
心随東棹憶華年。   心は東棹に随い華年を憶う
                         華年⇒少年

  無題 (贈高良富) 1932年
血沃中原肥勁草。   血は中原に沃し勁草に肥え
寒凝天地発春華。   寒は天地に凝し春華に発く
英雄多故謀夫病。   英雄 故さらに多く かの病を謀る
涙灑嵩陵噪暮鴉。   涙は嵩陵に灑ぎ 暮鴉噪ぐ

  答客誚 (贈郁達夫) 1932年12月
無情未必真豪傑。   無情なり 未だ必ずしも 真の豪傑ならず
憐子如何不丈夫。   子を憐れむは 如何ぞ 丈夫ならざる
知否興風狂嘯者。   知るや否や 風を興し狂嘯せし者
回眸時看小於菟。   眸を回らせ時に看る小於菟
               小於菟⇒魯迅の我が子(男児)に対する言葉

  偶成 (贈沈松泉) 1932年3月
文章如土欲何之。   文章 土の如く 何くに之かんと欲す
翹首東雲惹夢思。   首を東雲に翹げれば夢思を惹く
所恨芳林寥落甚。   恨む所は 芳林 寥落の甚だしきを
春蘭秋菊不同時。   春蘭 秋菊 時を同じくせず

  贈蓬子
驀地飛仙降碧空。   驀地 飛仙 碧空より降る
雲車双輌挈霊童。   雲車 双輌 挈霊童を挈え
可憐蓬子非天子。   憐れむ可し 蓬子 天子に非ず
逃去逃來吸北風。   逃げ去り逃げ來たり 北風を吸う

  所聞 (贈内山美喜)  1932年12月
華燈照宴敞豪門。   華燈 宴を照らし 豪門を敞き
嬌女厳装侍玉樽。   嬌女 厳装して玉樽に侍す
忽憶情親焦土下。   忽ち憶う 情親の焦土の下
佯看羅襪掩啼痕。   佯わり羅襪を看て啼痕を掩う

  無題 1932年12月
故郷黯黯鎖玄雲。   故郷 黯黯として玄雲を鎖す
遙夜迢迢隔上春。   遙夜 迢迢として上春を隔つ
歳暮何堪再惆悵。   歳暮 何ぞ再び惆悵するに堪えん
且持卮酒食河豚。   且らく卮酒を持して 河豚を食す

  無題  1932年12月
皓歯呉娃唱柳枝。   皓歯の呉娃 柳枝を唱う
酒闌人静暮春時。   酒闌 人静かに暮春の時
無端旧夢駆残酔。   端無く旧夢 残酔を駆ける
獨対燈陰憶子規。   獨り燈陰に対し 子規を憶う

  無題   1932年12月
洞庭木落楚天高。      洞庭 木落ちて楚天高く
眉黛猩紅(シ+宛)戦袍。  眉黛 猩紅にして戦袍を(シ+宛)す
澤畔有人吟不得。      澤畔に人有り 吟じ得ず
秋波渺渺失離騒。      秋波 渺渺として離騒を失う
                  (シ+宛)⇒けがす

  贈畫師 (贈望月玉成) 1933年1月
風生白下千林暗。   風は白下を生じて千林暗く
霧塞蒼天百卉殫。   霧は蒼天に塞り 百卉殫く
願乞畫家新意匠。   願わくは畫家に乞う 意匠を新に
只研朱墨作春山。   只だ朱墨を研り 春山と作さん

  二十二年元旦    1933年1月26日
雲封高岫護将軍。   雲は高岫を封して 将軍を護る
霆撃寒村滅下民。   霆は寒村を撃ち 下民を滅ぼす
到底不如租界好。   到底 租界の好きにしかず
打牌声裏又新春。   牌を打つ声裏 又た新春

  題『吶喊』  (贈山県初男)  1933年3月
弄文罹文網。   文を弄し 文網に罹り
抗世違世上。   世に抗して 世上に違う
積毀可銷骨。   積毀 骨を銷す可し
空留紙上声。   空しく留む紙上の声
    積毀骨をとかす⇒人の誹りも多く重なると、硬い骨も溶かす。ここでは、
    極めて親しい間柄でも破壊する意。

  題『彷徨』  (贈山県初男)  1933年3月
寂寞新文苑。   寂寞たり新文苑
平安旧戦場。   平安たり旧戦場
両間餘一卒。   両間 一卒を餘す
荷戟獨彷徨。   戟を荷いて 獨り彷徨する

  悼楊銓 (贈許廣平) 1933年3月
豈有豪情似旧時。   豈に豪情の旧時に似たる有り
花開花落両由之。   花開き花落つ 両つながら之に由る
何期涙灑江南雨。   何ぞ期せん 涙は江南の雨に灑ぎ
又為斯民哭健児。   又た斯民の為に 健児に哭す

  悼丁君 (贈周陶軒) 1933年6月
如磐夜気壓重楼。   磐の如き夜気 重楼を壓す
剪柳春風導九秋。   柳を剪る春風 九秋を導く
瑶瑟凝塵清怨絶。   瑶瑟に塵凝らし清怨絶え
可憐無女耀高丘。   憐れむ可し女の高丘に耀く無きを

  贈人  1933年7月
秦女端容理玉筝。   秦女 容を端にして玉筝を理む
梁塵踴躍夜風軽。   梁塵 踴躍して夜風に軽し
須臾響急冰絃絶。   須臾にして響びき急に 冰絃絶え
但見奔星勁有声。   但だ見る奔星の勁く声あるを

  無題 (贈土屋文明)   1933年11月
一枝清采妥湘霊。       一枝の清采 湘霊を妥んじ
九(田+宛)貞風慰獨醒。   九(田+宛)の貞風 獨醒を慰める
無奈終輸蕭艾密。       奈んともする無し 終に蕭艾の密なるを輸せるを
却成遷客播芳馨。       却って遷客と成り芳馨を播く
                       (田+宛)エン⇒耕地。はたけ

  無題 (贈黄振球) 1933年12月
煙水尋常事。   煙水 尋常の事
荒村一釣徒。   荒村の一釣徒
深宵沈酔起。   深宵 沈酔より起ち
無処覓菰浦。   菰浦を覓むる処無し

  戌年初夏偶作 (贈新居格) 1934年5月
萬家墨面没蒿莱。   萬家 墨面にして蒿莱に没す
敢有歌吟動地哀。   敢えて歌吟の地を動かす哀しみ有り
心事浩茫連廣宇。   心事浩茫として廣宇に連なり
於無声處聴驚雷。   無声の處に於いて驚雷を聴く


教育者として北京大学など教壇に立った魯迅は又、北洋軍閥の文化弾圧と衝突した学生運動三・一八事件により北京を脱出。中山大学等で教壇に立った。民族主義文学に徹し反封建主義、反帝国主義の文学が基調。詩人として採り上げる例書が少ない,敢えて魯迅の代表的な詩を抽出した。

(東京美術出版「有る中国人の回想」昭和44年七月)孫伯醇氏をして漢詩の衰退を歎き、
『日本の漢詩は土屋竹雨で終ってしまった。中国でも魯迅から、駄目になってしまった。 これも時の流れとして仕方のないことだろうが・・・・・・・。』と言っている。
 
参考資料:魯迅詩稿。上海魯迅記念館。上海人民美術出版社。
人民文学出版社版校。


 

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