第九章 大団円
趙家が掠奪に遭ってから、未荘の人は大抵みな小気味よく思いながら恐慌を
しばらくの間、様子が皆目知れないので、彼等は焦らずにはいられなかった。そこで二万銭の賞金を懸けて二人の自衛団が危険を冒してやっとこさと垣根を越えて、内外相応じて一斉に
城内に著いた時には已に正午であった。阿Qは自分で自分を見ると、壊れかかったお役所の中に引廻され、五六遍曲ると一つの小屋があって、彼はその中へ押し込められた。彼はちょっとよろけたばかりで、丸太を整列した門が彼の後ろを閉じた。その他の三方はキッタテの壁で、よく見ると
阿Qはずいぶんどぎまぎしたが、決して非常な苦悶ではなかった。それは
阿Qは午後から丸太の門の外へ引きずり出され大広間に行った。正面の高いところにくりくり坊主の親爺が一人坐していた。阿Qはこの人は坊さんかもしれないと思って、下の方を見ると、兵隊が整列して、両側に長い著物を著た人が十幾人も立っていた。その中にはイガ栗坊主の親爺もいるし、一尺ばかり髪を残して後ろの方に
「立って物を言え、膝を突くな」と長い著物の人は一斉に怒鳴った。
阿Qは承知はしているが、どうしても立っていることが出来ない。我れ知らず
「奴隷根性!……」と長い著物を著た人はさげすんでいたようだが、その上立てとも言わなかった。
「お前は本当にやったんだろうな。ひどい目に遭わぬうちに言ってしまえ。乃公はもうみんな知っているぞ。やったならそれでいい。放してやる。」とくりくり坊主の親爺は、阿Qの顔を見詰めて物柔かにハッキリ言った。
「やったんだろう」と長い著物を著た人も大声で言った。
「わたしはとうから……来ようと思っていたんです……」阿Qはわけも分らず一通り想い廻して、やっとこんな言葉をキレギレに言った。
「そんならなぜ来なかったの」と親爺はしんみりと訊いた。
「偽毛唐が許さなかったんです」
「
「何でげす?」
「あの晩、趙家を襲った仲間だ」
「あの人達は、わたしを喚びに来ません。あの人達は、自分で運び出しました」阿Qはその話が出ると
「持ち出してどこへ行ったんだ。話せば
「わたしは知りません。……あの人達はわたしを呼びに来ません」
そこで親爺は
大広間の模様は皆もとの通りで、上座には、やはりくりくり坊主の親爺が坐して、阿Qは相変らず膝を突いていた。
親爺はしんみりときいた。「お前はほかに何か言うことがあるか」
阿Qはちょっと考えてみたが、別に言う事もないので「ありません」と答えた。
そこで一人の長い著物を著た人は、一枚の紙と一本の筆を持って、阿Qの前に
「わたし、……わたしは……字を知りません」阿Qは筆をむんずと掴んで
「ではお前のやりいいように丸でも一つ書くんだね」
阿Qは丸を書こうとしたが筆を持つ手が顫えた。そこでその人は彼のために紙を地上に敷いてやり、阿Qはうつぶしになって一生懸命に丸を書いた。彼は人に笑われちゃ大変だと思って正確に丸を書こうとしたが、
阿Qは自分の不出来を愧かしく思っていると、その人は一向平気で紙と筆を持ち去り、大勢の人は阿Qを引いて、もとの丸太格子の中に抛り込んだ。
彼は丸太格子の中に入れられても格別大して苦にもしなかった。彼はそう思った。人間の世の中は大抵もとから時に依ると、抓み込まれたり抓み出されたりすることもある。時に依ると紙の上に丸を書かなければならぬこともある。だが丸というものがあって丸くないことは、彼の行いの一つの汚点だ。しかしそれもまもなく解ってしまった、孫子であればこそ丸い輪が本当に書けるんだ。そう思って彼は睡りに就いた。
ところがその晩挙人老爺はなかなか睡れなかった。彼は少尉殿と仲たがいをした。挙人老爺は
「一人を槍玉に上げれば百人が注意する。ねえ君! わたしが革命党を組織してからまだ
挙人老爺は
そこで挙人老爺はその晩とうとうまんじりともしなかったが、翌日は幸い辞職もしなかった。
阿Qが三度目に丸太格子から抓み出された時には、すなわち挙人老爺が寝つかれない晩の翌日の午前であった。彼が大広間に来ると上席にはいつもの通り、くりくり坊主の親爺が坐っていた。阿Qもまたいつもの通り膝を突いて下にいた。親爺はいとも
阿Qはちょっと考えたが別に言うこともないので、「ありません」と答えた。
長い著物を著た人と短い著物を著た人が大勢いて、たちまち彼に
阿Qは屋根無しの車の上に
この車は立ちどころに動き始めた。前には鉄砲をかついだ兵隊と自衛団が歩いていた。両側には大勢の見物人が口を開け放して見ていた。後ろはどうなっているか、阿Qには見えなかった。しかし突然感じたのは、こいつはいけねえ、首を斬られるんじゃねえか。
彼はそう思うと心が
彼はまた見覚えのある路を見た。そこで少々変に思った。なぜお仕置に
彼は覚醒した。これはまわり道してお仕置場にゆく路だ。これはきっとずばりと首を
「二十年過ぎればこれもまた一つのものだ……」阿Qはゴタゴタの中で、今まで言ったことのないこの言葉を「師匠も無しに」半分ほどひり出した。
「
車は停まらずに進んだ。阿Qは喝采の中に眼玉を動して呉媽を見ると、彼女は一向彼に眼を止めた様子もなくただ熱心に兵隊の背の上にある鉄砲を見ていた。
そこで、阿Qはもう一度喝采の人を見た。
この刹那、彼の思想はさながら旋風のように脳裏を一廻りした。四年
「助けてくれ」
阿Qは口に出して言わないが、その時もう二つの眼が暗くなって、耳朶の中がガアンとして、全身が木端微塵に飛び散ったように覚えた。
当時の影響からいうと最も大影響を受けたのは、かえって挙人老爺であった。それは盗られた物を取返すことが出来ないで、
輿論の方面からいうと未荘では異議が無かった。むろん阿Qが悪いと皆言った。ぴしゃりと殺されたのは阿Qが悪い証拠だ。悪くなければ銃殺されるはずが無い! しかし城内の輿論はかえって好くなかった。彼等の大多数は不満足であった。銃殺するのは首を斬るより見ごたえがない。その上なぜあんなに意気地のない死刑犯人だったろう。あんなに長い引廻しの