第一章 序
わたしは阿
それはそうとこの一篇の朽ち易い文章を作るために、わたしは筆を下すが早いか、いろいろの困難を感じた。第一は文章の名目であった。孔子様の
列伝としてみたらどうだろう。この一篇はいろんな偉い人と共に正史の中に排列すべきものではない。自伝とすればどうだろう。わたしは決して阿Qその物でない。外伝とすれば、内伝が無し、また内伝とすれば阿Qは決して神仙ではない。しからば別伝としたらどうだろう。阿Qは大総統の上諭に依って国史館に
第二、伝記を書くには通例、しょっぱなに「何某、あざなは何、どこそこの人也」とするのが当りまえだが、わたしは阿Qの姓が何というか少しも知らない。一度彼は
それは趙
「阿Q! キサマは何とぬかした。お前が
阿Qは黙っていた。
趙太爺は見れば見るほど癪に障って二三歩前に押し出し「
阿Qは黙って身を後ろに引こうとした時、趙太爺は早くも飛びかかって、ぴしゃりと一つ
「お前は、どうして趙という姓がわかった。どこからその姓を分けた」
阿Qは彼が趙姓である確証を弁解もせずに、ただ手を以て左の頬を撫でながら村役人と一緒に退出した。外へ出るとまた村役人から一通りお小言をきいて、二百文の酒手を出して村役人にお詫びをした。この話を聴いた者は皆言った。阿Qは実に出鱈目な奴だ。自分で
第三、わたしはまた、阿Qの名前をどう書いていいか知らない。彼が生きている間は、人は皆阿 Quei と呼んだ。死んだあとではもう誰一人阿 Quei の噂をする者がないので、どうして「これを
もしまた彼に一人の兄弟があって
第四は阿Qの原籍だ。もし彼が趙姓であったなら、現在よく用いらるる
わたしが幾分自分で慰められることは、たった一つの阿の字が非常に正確であった。こればかりはこじつけやかこつけではない。誰が見てもかなり正しいものである。その他のことになると学問の低いわたしには何もかも突き止めることが出来ない。ただ一つの希望は「歴史癖と考証