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幸せサラダ
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すみれさんは、都会の雑誌社に勤めていました。 小さな雑誌社でしたが、記事を書かせてもらえることはめったになく、お茶を入れたり、おそうじをしたり、資料を整理したりの毎日でした。でもすみれさんは、いつかすばらしい記事を書くことを夢見て、朝から晩まで元気に飛び回っていました。 そんなすみれさんが、このごろ窓辺に立って、四角い空をポツンと見上げていることが多くなりました。仕事がいやになったわけではありませんが、なんとなく、都会の生活に疲れてしまったようなのです。 -田舎に帰ろうかな- 窓辺にもたれてそんなことを考えていた時、編集長がポンと肩をたたきました。 「高原のペンションに、行ってきてくれないか? しあわせサラダという変わったサラダが出るそうなんだが、その料理人を取材してきてほしいんだ。なんだか、とてもうまいそうだよ」 「しあわせサラダか…」 すみれさんは、その言葉の響きにひかれて、行ってもいいなと思いました。
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-この仕事で最後にしよう。田舎にでも帰って、結婚でもしよう- 高原に向かう列車の中で、すみれさんは、そんなことを考えていました。 高原のペンションは、バス停からだいぶ入った、白樺林の中にありました。丸太小屋風の小さな建物でしたが、その色は、白でも水色でもなく、まるで風のようなふしぎな色でした。 すみれさんは、額を流れる汗をハンカチでふきながら、玄関のチャイムを押しました。 シャラン ロン リン ロン さわやかな夏の風のような音がして、すぐに、真っ黒に日焼けした男の人が出てきました。 「いらっしゃいませ。お待ちしていました」 ペンションのオーナーは、さわやかな笑顔で部屋へ案内してくれました。 「最後の仕事、しっかりやらなくちゃ」 すみれさんは、そんなことを考えながら、ベットの上に横になると、なんだかとてもいい気持ちで、いつしか眠ってしまいました。
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「夕食の時間です」 すみれさんが、ドアの外からの声で目をさますと、あたりはすっかり暗くなっていました。 食堂には、もう何人かのお客が集まっていて、オーナーが一人で、食卓の準備をしていました。どのお客も、なんとなく疲れているようすでした。 「料理人の取材をしたいのですが」 すみれさんがたずねると、オーナーは、ちょっと困ったように答えました。 「申し訳ありません。今はちょっと、手が離せませんので…」 すみれさんは、少し変だなと思いましたが、とにかく、サラダを食べてみてからにしようと思いました。 最初に出された高原野菜のスープやハンバーグも、焼き立てのチーズパンや山ぶどうのワインも、どれもおいしそうでした。食べてみると、本当にその料理はとてもおいしくて、すみれさんたちは、あっという間に食べてしまいました。 食べ終わると、中年の男の人が、オーナーを呼んで言いました。 「しあわせサラダは出ないのですか? 私はそれが目当てでここに来たのに…」 「私も、そうですよ」 他のお客たちも、口々に言いました。 「今つくっていますので、少々お待ち下さい」 オーナーはそう言って、キッチンへ姿を消しました。 「しあわせサラダって、どういうサラダなのかしら?」 若い女の人が、待ち遠しそうにつぶやきました。 「そのサラダを食べると、しあわせになれるというのならいいんだけどね」 女の人といっしょに来たらしい若い男の人が言いました。 「そんなサラダがあったら、毎日でも食べたいよ」 さっきの中年の男の人が、ため息まじりにつぶやきました。 すみれさんは、そんな言葉を聞きながら、そっとオーナーの後を追って、キッチンをのぞきに行きました。そこにはオーナーがただ一人、大きなガラスのボールに盛った野菜を、小さな器に分けているのが見えました。 夜だというのに、窓が大きく開け放たれていて、そこから気持ちのよい風が吹き込んでいました。 「料理人は、いないのかしら?」 オーナーが、そのサラダを若草色のトレーに乗せようとしているのを見ながら、すみれさんは、あわてて写真を一枚撮り、席へもどりました。 「お待たせいたしました。これがしあわせサラダです。どうぞ、召し上がって下さい」 オーナーは、みんなのテーブルにそのサラダを配りました。 そのサラダは、レタスを敷いた上に、雑草のような野菜が盛られているだけのものでした。すみれさんは、サラダの写真を一枚撮りました。 「これがしあわせサラダなの?」 若い女の人が、がっかりしたように言いました。 「君、これは普通のサラダじゃないか。それにこの草はなんだ。ここに来る途中の道端にはえていたものじゃないのか?」 中年の男の人が、おこったように言いました。確かにそのサラダは、今までの料理と違って、おいしそうには見えませんでした。 「はい、そうです」 オーナーは、気にとめるようすもなく、ニコニコしながら答えました。 「ドレッシングはないんですか?」 すみれさんが、たずねました。 「たっぷり、かけてあります。今日は特別おいしくできました。ただ、ちょっと風が強かったので、ほこりが少し入ってしまいました」 オーナーは、すまして答えながら、早く食べて下さいとすすめました。 「私はいらないわ!」 女の人が、不機嫌そうに席を立って、部屋を出て行こうとしました。若い男の人も、後を追いかけるように席を立ちました。 すみれさんは、おそるおそるそのサラダを口に運びました。 「おいしい!」 そのサラダは、パリッとみずみずしくて、さわやかな苦味と、後に残るふくよかな甘みが何とも言えずおいしくて、思わず声を上げてしまいました。 「うん。うまい」 すみれさんの声につられて食べ始めた中年の男の人も、一口食べると驚いたように叫びました。部屋を出ようとしていた二人も、そのようすを見ながら席に戻り、フォークを手にしました。 「本当においしい。なんか、なつかしい味だな。ずっと昔、子供の頃食べたような!…。でも、何の味だったろう?」 若い男の人が、そう言いました。 「風の香りじゃありません? 遊び疲れて草の上に寝転がった時の、青い草と太陽の光が混ざったような、風の香り…」 すみれさんが、ささやくように言いました。 「そうか。味じゃなく、香りだったんだ。かすかに感じるほこり臭さも、子供の頃泥まみれであばれ回っていた時の匂いだ。なつかしいな。あの頃は本当に一生懸命で、しあわせだったんだ」 中年の男の人が、うなずきながらいいました。 「あの頃は、夢をたくさん持ってたわ」 女の人が言いました。 それからみんなは、子供の頃の思い出を、夜遅くなるまで楽しく語り合いました。 「オーナー、どうもお世話になりました。私、仕事をやめようと思っていたのですが、もう一度、頑張ってみようと思います。しあわせサラダのおかげです。ありがとうございました」 「そうですか。それはよかった。また、いつでもおいでください」 すみれさんは、とうとう料理人の取材をさせてもらえませんでした。 「あっ、そうだ。しあわせサラダの料理人って、もしかしたら…」 そこまで言うと、すみれさんは話すのをやめました。 「世界一すてきな記事を書きますから、きっと読んで下さい」 すみれさんの足取りは、夏の風のように、とてもさわやかでした。
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