◆伝説の女優 悲劇と誇り◆
上海市新閘路沁園邨(しんこうろしんえんそん)。近代的高層ビルの谷間に、息を潜めるかのようにひっそりとそのアパートは建っていた。
中国の伝説的女優・阮玲玉(ロアン・リンユィ)が暮らしたアパート。女優として絶頂期にあった阮が、1935年3月、二十五歳という若さで自ら命を絶った悲劇の場所でもある。重厚なレンガ造りの西洋建築は、国際都市として知られた租界時代の面影も残している。
アパートを案内してくれた沁園邨地区居民委員会の葉徳珠さん(48)は、「中国だけでなく海外から、あなたみたいな人がやって来るんですよ」と教えてくれた。
30年代のサイレント期の上海映画界で、大輪の花を咲かせた阮の生き方は、今でも多くの人を引きつけている。「我々の知らない時に、そっとやって来て、帰っていく人も多い」のだという。
表門に面する大きな格子状の扉、天井の高い広々としたリビング、薄暗い3階までの木製階段――。映画の中で確かに見た光景だ。
ロケが行われたのは10年ほど前。「当時は主演のマギー・チャンら香港の有名な女優が来たということで地区の住民はざわめきたっていましたね」と葉さんは振り返る。
阮の一生は、70年代後半に始まった中国の改革・開放政策のなかで、再評価への動きが始まった。
「阮玲玉のことは住んでから初めて聞いたよ。悲劇の大女優だね。自殺した場所だからって不吉だなんて思わない。むしろ、住めて光栄に思うよ」。阮が暮らしていた部屋に今も夫婦で住む鐘松山さん(72)は話す。
鐘さんは1973年に入居。再評価の流れのなかで、自分の住んでいるところが阮の暮らした場所だと初めて知り、伝説的女優について自分たちでも調べたのだという。
天才的演技とその美貌(びぼう)で「中国のグレタ・ガルボ」と評された阮玲玉。1935年の映画「新女性」で、マスコミの中傷によって自殺に追い込まれる音楽教師を演じた。しかし、阮自身も、妻子ある男性とのスキャンダルを中傷する記事に耐えられず、自ら命を絶った。阮の奔放な生き方は当時の上海では受け入れられなかった。遺書には「人言可畏(世間のうわさは怖い)」という言葉を残した。
映画のヒロインの悲劇をなぞるかのような死は、いつしか上海に“阮玲玉伝説”を生みだした。そして海外まで、阮の名を広めたのが、スタンリー・クワン監督の映画「ロアン・リンユィ/阮玲玉」だった。
映画というメディアに生き、死に追い込まれた阮は、また映画の中で生き返った。
映画でマギー・チャン演ずる阮玲玉は、同僚に何度もこう尋ねる。「私の生き方正しい?」
急速な経済発展を遂げ、阮が活躍した当時にも似た活気ある国際都市に変貌しつつある上海。急激な社会変化の裏で、目立たぬように建つアパートを探し当てた多くの人が、「私の生き方は正しい?」と自問を繰り返しているような気がした。