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「方丈記」と「徒然草」の比較

鴨長明作の 「方丈記」は「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。」という無常観が溢れている言葉で始まった。前半では五つの大きな災厄が描かれる。京都の三分の一を焼いた安元の大火などが作者に深くこの世の無常を感じさせた。後半では自分の不運の生涯を回顧し、むなしい現実社会を捨てて出家し、大原にしばらく隠遁した後、日野の外山の方丈の庵に移住したことを述べる。
   その一方、吉田兼好の「徒然草」は「つれづれなるままに」書いたが、随想風に長短234段が書きつづられている。その内容は、王朝趣味、有職故実への関心が強い。それに、貴族文化への尚古的態度も見られる。「方丈記」の内容とぜんぜん違うが、比較する必要がないわけでもない。それは同じく鎌倉時代の三大随筆の一つであるから。とくに、両方とも「無常」について自分の見方を書いている。
   ところが、和漢混交体で書いた 「方丈記」はただ無常を詠嘆する。「知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへかへ去る。また知らず、仮の宿り、誰がために心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。」この文の下「徒然草」を読む時、いかにも消極的な無常感をあたえられる。
  それと違って、「徒然草」を詠む時は心を励ましてくれる。たとえば、「初心の人、二つの矢を持つことなかれ。後の矢を頼みて、はじめの矢になほざりの心あり。毎度ただ得失なく、この矢に定むべしと思へ。」「いはんや一殺那のうちにおいて」、怠ける心があるかもしれない。「ただ今の一念において、直ちすることのはなはだ難き。」これは積極的で、人に努力して向上する気を呼びかける。同じく無常観を書いても、「徒然草」の場合、「世はさだめなきこそいみじけれ」という無常であるからこそ、美しいのあたらしい美意識を発見した。
   「方丈記」と「徒然草」は両方とも「死」について意見を述べたが。前者の中に「朝に死に、夕に生まるる習ひ、ただ水の泡にぞ似たりける。」後者の中には「死期はついでをまたず、死は前よりても来たらず、かねて後ろに迫れり」であるから、「人、死を憎まば、生を愛すべし。」と力説する。同じ無常観に立脚しているが、人生への深い省察があるといえよう。
   「方丈記」が無常の詠嘆で終わってしまっているに対して、「徒然草」は思索的な深まりを持ち、無常の美というべき新し中世的な美意識を確立している。この違いの原因はどこにあるか。
   まず、時期が違うから。「方丈記」は鎌倉の前期に作った。幕府の時代が始まって、激動の時期だといえる。鴨長明の隠遁などはその時代と関係があると言わなければならない。「徒然草」なら、鎌倉時代の後期で、もう時代に背く貴族たちに不満をもって、その滅入が必然だと彼の文章には書いてある。だから、「世はさだめなきこそいみじけれ」といったのではないか。
  私は私的な考えで、もう一つの原因は「方丈記」を作った鴨長明は道教の影響をうけて、「徒然草」を書いた兼好は儒教に影響されたから。
 そこで、資料を調べてみた。果たしてそういうことなのだ。わたしはこの二つの作品を全部読んでいるわけではないから、早合点する恐れがあるが。ここまで書くと、なんとなく日本の古典文学が好きになった。これから、もっとそれについて究めてみたいと思う。

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