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子連れ留学 目覚めた絵

夏休みのパリ。階段で上ったエッフェル塔の真っ正面に、丸い赤のひさしの付いた建物が見えた。「赤の色が『描けよ、描けよ』と言っているみたい」で、その場で思わずスケッチした――用意してくれた絵について、そんなふうに説明してくれた。描いたのはもう9年前のこと。
 当時、人気テレビドラマ「大岡越前」の妻・雪絵役などで知られた女優業からは、10年以上も遠ざかっていた。主婦業に専念し、2人の娘を連れてイギリスの美術大学に「子連れ留学中」の身だった。「子供だけ勉強して、私が何もしないのは嫌。自分も成長したい」と、独学で英語を学び、2つの大学で5年間、ガラスとテキスタイル(織物)のデザインを学んでいた。

 デザインの基本は、絵を描くこと。高校時代から好きだった絵に、そこで“目覚めた”。スケッチブックを片手に、出合った風景を次々と描いた。パステル画、油絵、顔料を用いた絵など数え切れない。

 「デザインは抽象画が基本。元の絵のこれはいらない、故に、これもいらないと枝葉を切っていくと、ストンと抽象になっていく。ごちゃごちゃ考えて、なぜ、なぜと自分にたずねた答えが出るのが好きです」

 日本には1997年に帰国し、翌年、周囲の勧めで個展を開いた。パリを描いた油絵がすべて売れるほどの人気を博した。

 「昼下がりの赤い屋根」と名付けた冒頭の絵は、特にお気に入りの1枚。この赤色が、「夕焼けの赤と同じ」と気付かされたからだ。その夕焼けとは、幼いころ見た、真っ赤に染まる地平線が横いっぱいに広がった東京の夕焼け。

 「いろいろな色を使う経験を重ねていくうちに見える色があることを、絵を通じて学びました。人の生き方もそれと同じ」。だからパリのあの風景に見えた赤が、自分のこれまでの人生と重なって見えた。

 元夫で俳優の三浦洋一さんが亡くなったのをきっかけに、「俳優として尊敬する彼の遺志を継ごう」と3年前、女優に復帰した。画集の出版や個展開催などの話は後を絶たないが、「女優の仕事に専念したい」と、今は絵を描くことは“休業中”。

 「いずれまた描きますよ」と約束する。今度はどんな色を「人生ドラマ」に付けてくれるのだろう。

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