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だめなパパ (日文版)
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作者:未知 来源:本站原创 更新:2004-5-25 13:22:00 点击: 切换到繁體中文
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だめなパパ
私の子供は四歳をすぎた女の子である。子供というものは、短期間にいろいろと人相が変わるもので、過去、わが子ながら可愛いと思ったことが三度ほどあった。まった、わが子ながら不器量だた首をかしげたことが六度ほどあった。
現在は、その中間型くらいである。それにしても、可愛く思うことには変わりがない。親というものはみっともんないものだが、正直な話、喜んでバカになりたいとも思う。
そのくせ、彼女は一年ほど前まで、あまりこの私になつかなかった。仕事部屋から追い出したり、あまり一緒に遊んでやらなかったことが原因らしい。こちらが都合のいいときだけかまあおうとするので、ダッコをしようとしても逃げていったりする。
パパは悲嘆の涙のきくれたものだ。
ただ、私が甘いことだけは知っていて、ママに隠れてお菓子をとりにゆこうとする企みを抱くとくのみ、『パパ、ダッコ』と私を誘う。そう言われるとこのパパは身体中グニャグニャになるのである。
しかし、最近、この経過が変った。私は不健康な自分の身体をなんとかしょうと思って一大意志を奮い起して、体操とランニグを始めた。
中年の男が、昼間からその辺をドタバタ走っているのはみっともないから、子供を利用することにした。いかにも子供を遊ばせているふうに見せかけて、彼女と一緒にランニグをした。
『パパ、ランニグちよう』
と、彼女が誘いに来る。
そのうち、家から五分ほど離れた場所に空地があって、ここに土が盛られて小山をなしている場所を発見した。
『パパ、お山にゆこう』
と彼女がいう。
私は子供と一緒に山へゆき、手をひいてかなりの急坂をくだらせ、ついで手をひいて坂をのぼらせた。だんだんと子供も勇気が出てきて、この頃では一人きりで滑りながら登ったりする。
その後姿を見ながら、
『小学生になったら日本アルプスに連れて行こう。女性アルピニストにしてもいいぞ』
などと、愚かな父親は思う。
そんなふうに、私が彼女と一緒に遊んでやる時間が多くなるにつれ、がぜん彼女は私になつきはじめた。その上、完全に甘いパパである。
このっごろでは、
『パパはやさしいから好き。ママは怒るからきらい』
などともいい、教育上よくないと思うが、そう言われると、自然と私の頬はほころぶのである。
先日の夜半、彼女はおモラシをした。ママがパジャマをはきとり、シーツをかえ、すっぱだかで泣いている子供に、
『めー』
といった。
私は胸がいっばいになり、
『大丈夫だよ。このパパも小さいときは、たくさんおモラシをしたんだよ小学生になってもやったんだから』と、なぐさめたら、妻はこわい顔をした。
私は調子にのり、
『おまえのおじいちゃまは、中学生になってもおモラシをしたのだよ。』ジャンジャンおモラシをした。それでもちゃんと文学勲章なんてものをもらった。うちは代々、おモラシを沢山したほうがえらくなれるのだよ』
と言ったら、妻はいやというほど私の横腹をつねった。
ともあれ、子供はこれに甘えてきて、仕事場を大いに荒す。それには私も弱っているが、今のところ、可愛くて仕方がないので、なあ仕事は多少遅れてもやむを得ないくらいに思っている。
しかし、このままでは子供をダメにしてしまうから、もう少し大きくなったら、がぜんきびしくおっかない父親になってやろうと思っているが、果してうまくゆくかどうか。
語彙
人相/容貌 首をかしげる/纳闷 企み/企图 グニャグニャ/软绵绵 なつく/亲密 ほころぶ/微笑 やむを得ない/不得已 おっかない/可怕的 親バカ 指溺爱子女的糊涂父母 ダッコ(幼儿语)相当于“抱抱”之意 涙にくれる 泪眼模糊 めー 训斥小孩时用 いやというはど 表示一种“很厉害”的程度 おまけに(接续词)再加上,而且 おっかない(俗语)可怕 不器量 可读作[ぶきりょう]或[ふきりょう],前者指女人相貌丑,后者指无能、无才。 ちよう (幼儿语) 相当于しよう
“坏”爸爸 (中文版) 本文描述了一位四岁女孩的爸爸,在处理与孩子相处的问题上充满了矛盾。他想和女儿多待一会,但往往又为了工作所困。值得庆幸的是,他及时发现了孩子与她的疏远,并努力改善这种状况,最终获得了孩子对她的信任和爱。文中的爸爸看似“坏”,其实是一位非常重视与孩子交流,充分给予孩子自然发展空间的好爸爸。本文为我们提出了一个值得深思的问题,在高度发展的当今社会,我们该怎样与孩子相处呢?
“坏”爸爸
我的小孩是刚满四岁的女孩。小孩的容貌在短期内会不断变化,以前我的孩子也曾有三次让人就得可爱的时候。然而,也有六次竟让我觉得她很丑,真是不可思议。
现在虽说长相属于一般。但她的可爱之处依然如旧。确实溺爱子女是不好的,但是说老实话,我倒也乐意放纵她。 是,大约一年前,她和我不太亲近了。原因好像是把她赶出我的工作间,此外,也不太和她一起玩了吧。如今,只有当我空闲时才去照顾她,所以,即使想要抱抱她,她也躲得远远的。
做爸爸的真是伤心啊!
我娇惯孩子,这一点她是知道的,所以只有在企图躲开妈妈去拿点心时,才会来叫我“爸爸,抱抱”。被她这么一叫,我这个当爸爸的整个身体好像都酥软了一般。
但是,最近这种情况发生了变化。我想锻炼一下子自己那虚弱的身体,鼓起很大的勇气,开始做体操和跑步。大白天的,一个中年男子在那一带呱哒呱哒地跑步,不太好看,所以想利用孩子,装成带孩子玩耍的样子,和她一起跑。
“爸爸,跑步去!”
她来约我了。
不久,我发现在离我家约五分钟中的地方有块空地,那里堆着土,像一座小山。
“爸爸,爬山去!”
她说。
我和孩子一起去爬山,牵着她从很陡的山坡上跑下来,接着,又牵着它的手让他爬坡。逐渐孩子有了勇气。最近,会一个人一步一滑地爬上去了。
看着她的背影,傻爸爸这样想,
“等上了小学后,带她去日本阿尔卑斯山,还可以把她培养成女子登山运动员呢!”
就这样,随着与她一起玩耍的时间增多,她开始与我亲热起来。由此,我完全成了骄惯孩子的爸爸。
“爸爸和气,我喜欢;妈妈好生气,我讨厌。”
最近,她竟这样说。虽然这在教育方面是有问题的,但经她这么一说,我的脸上很自然会泛起笑容。
前天夜里,她尿床了。妈妈脱了她的睡衣裤,换了床单,对着一丝不挂还在哭的孩子训斥道。
“还哭!”
我看着心里觉得难受,
“没关系,爸爸小时候也尿床的呢。而且经常尿床呢。就这样还得了文化勋章呢。我家祖祖辈辈都是谁尿床厉害,谁就有成就啊。”
我趁势这么一说,妻子却狠狠地在我腰窝里拧了一把。
总之,我这个当父亲的太溺爱孩子了,而且,还和她一起玩,所以孩子就利用我这一弱点,把我的工作室搞得乱七八糟。对此,虽令我头痛,但总觉得她现在是最可爱的时候,所以,工作稍微耽误一点也是不得已的事。
不过,这样下去会把孩子惯坏的,我想等孩子稍微在大点,来做回严厉的可怕的爸爸,但不知能否实现。 | |
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