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映画「ミスター・ブー」の舞台

◆逆境笑い飛ばす力 

 ホテルのマネジャーとして働く父親は、毎日、仕事を終えて帰宅すると、不平不満を並べ立てた。「給料が安すぎる」「上司がバカだ」「困ったことがあると部下に責任を押し付けるだけで何もしない」――。 

 一家は、5人の子供を抱え、ただでさえ生活は苦しい。ダウンタウンの狭くて汚い団地の一室で、ひしめくように家族が暮らしていた。かつての香港では当たり前の光景だった。 

 映画監督、喜劇俳優として活躍するマイケル・ホイ(許冠文)さん(61)は、そんなふうにして1950年代の香港で多感な少年時代を過ごした。もともとの生まれは中国南部広東省の省都・広州。新中国成立直後、7歳の時に家族全員で香港に逃れたのだ。 

 「貧しくて、兄弟の誕生日にケーキを買うこともできなかった。周囲を見渡しても、みんな似たようなものだったよ。毎日毎日、香港の庶民の悲哀を切実に感じて大きくなった」 

 大学を出て、60年代にテレビのバラエティー番組の司会者を務めて人気者となる。その後、映画界に進出して俳優の仕事も始め、74年に独立して映画会社を作った。そして、初めて監督兼主演の映画を撮影しようとした時、真っ先に頭に浮かんだアイデアが、ずっと身近に見てきている香港の市井の人々を題材にすることだったという。 

 「それまでの香港映画といえば、カンフーのアクションや古めかしい時代劇ばかり。香港の普通の人々を主人公に描くなんてことはなかった」 

 さっそく始めたのは、街に出て庶民の様子を観察することだった。当時の香港は犯罪が多発して治安は悪い。失業率も高く、ようやく仕事を見つけた翌日に解雇されることなんて日常茶飯事だった。 

 どうも暗いことばかりのように思えたが、街は活気に満ちていた。逆境に直面しても、たくましく生き抜こうと頑張る“香港スピリッツ”がある。 

 「何もかも笑い飛ばしてしまえばいい。香港の庶民の心情を代弁するようなものを作ろう」。70―80年代の香港映画界を支えるヒット作のコンセプトは、こうして作られていった。 

 初作品の「鬼馬双星」(邦題は「ミスター・ブー ギャンブル大将」)は、一獲千金を狙う売れない詐欺師をマイケルさんが演じて、74年の香港の映画興行記録の1位を獲得。その後もヒット作を連発した。一連の作品は、日本で「ミスター・ブー」シリーズと名づけられ、単なるドタバタ喜劇と思われている。でも、香港人が日常で話す広東語のセリフで撮影・上映するという画期的作品だったことは、意外に知られていない。 

 それまで香港の映画界は、中国を逃れて来た上海出身の映画人に牛耳られていた。映画の中で役者が話すセリフも北京語が主流だった。これを広東語に替えたことは「香港人による香港人のための香港映画」が初めて作られたことを意味した。以後、香港では広東語映画が主流となった。 

 目覚ましい経済発展を遂げた香港だが、1997年の中国返還後は不景気が続いて街に活気がない。庶民の元気がないことも気がかりだ。マイケルさんは言う。「もう10年間も映画を撮っていないが、そろそろ自分の出番かもしれない。今の香港は逆境を笑い飛ばすエネルギーが必要だ」 

 来年中に最新作の制作に取りかかる考えという。21世紀版の「ミスター・ブー」に会える日も間もなくだろう。(文と写真 関 泰晴)


 [ミスター・ブー] 日本初公開は1979年。76年制作の香港映画「半斤八両」に日本の配給会社が「ミスター・ブー」という邦題を付けた。以後、1970―80年代のマイケル・ホイ監督・主演の一連の喜劇映画がシリーズ化。絶妙な日本語の吹き替えもあり、人気を呼んだ。 

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