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日本の包み「折形」

包む(包み)ということばは、私達日本人にとってwrap(wrapping)を意味する他に、たぶん他国の人達のイメージに含まれないであろう、もう一つの内容をもつ。

 私達にとって、そのもう一つの「包み」は、贈り物を紙(もとはすべて条件として和紙)でもって、ある様式に合うように包むこと、または包んだ状態のことである。

 贈り物をするということは、私の心のありようを贈るべき相手に伝えることでもある。日常的な状況のなか(たとえば、ちょっとした手土産のような)でももちろんのことながら、祝い事などにかかわってなにかを贈るとするとき、私は私の身に付いた汚れや気付かぬまでも犯している罪の要素など、およそ否定的なことを、贈る相手に対して贈り物とともに移してしまってはならないと考える。そのような内面の伝統を、人によってははっきりした認識として形成されてはいなくとも、受け継いできた。そのことが包みのかたちとして伝えられて今日に至っている。この伝統も時代とともに大きく変動してはいるものの、よく観察すると、いたるところにその影響と見られる包装の心遣いを見ることができる。

 7世紀ごろに大陸から日本に、紙とその製法が伝えられたという。伝えられた紙漉きの技術は、当時すでに文化の成熟が進んでおり、状況として持っていた形のなかで、おそらく急速な供給の量的改善の要求に会い、やがてこれを達成したようである。もたらされた結果は供給の量の点に限らず、紙質そのものの飛躍的向上でもあった。和紙の誕生である。和紙に関わる紹介はすでに十分になされているので、ここでは省くことにする。

 私達日本人の「包み」は和紙の誕生なしには考えられない。ためしに手漉きの和紙と洋紙を手で折ることを比較体験してみれば、直ちにそれが納得できるだろう。

紙の出現以前は、贈り物などの清浄をかたちに表すのに、草木の葉などを敷くことを以てした。紙が手近に求めやすくなる時がきて、贈り物を事と場合に見合ったふさわしい様子に包む工夫が始まった。紙を折り、美しく調えてこれを以て包む、それを「折形=おりかた」とよぶ。必ずしも物をくるみこんでしまうwrapではない場合がむしろ多いのが、折形の特徴でもある。伝承された作法に、少しはものが見えるようにするべし、とある。私が例えていうなら、人が着物を身につけるのに似ていると、考えてよいのではないか。その人に似合った着物・それを着て出向く場所・出逢う相手、等々についての配慮のすべてと同じことを、物と紙とに当てはめてみると分かり易いのではないかと思う。

 もとは、包みが象徴すべき清浄に最もふさわしい白い(生成の)紙でのみ行われていたが、後に適宜の色彩・文様の紙も用いることとなる。こうしたしきたりが何時ごろ始まったか。確たる資料は見つけられない。得られる資料から推測可能なのは、遅くとも15世紀にはかたちはできていただろうということである。一般庶民に普及したと言えるのは17世紀の終わりごろのようである。商品としての紙および教育手段の普及が、欠かせぬ条件として考えられるからである。19世紀半ばには、数えきれぬまでに包みの形が生み出されているのを、資料によって見ることができる。日本人の手工芸への強い嗜好が表れているようである。

 現在、社会の急激な変化に会って伝承は行き先が見えなくなっているかのようだが、私としてはすぐれた遺産を新しい世紀に、新しい世代にしっかり繁ぐ努力を惜しまないつもりである。

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