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一字千金

作者:未知  来源:日本ネット   更新:2004-11-13 18:56:00  点击:  切换到繁體中文

 

 時は戦国の末。天下を狙う列国の諸侯達は、競って一芸一能に秀でた
者たちを客分として招き集めた。これがすなわち食客である。わけても
斉の孟嘗君は数千、楚の春申君は三千余、趙の平原君は数千、魏の信陵
君は三千と、食客の数を誇ったものであった。
 
 しかもこの食客達は、今日の居候とは違い、いずれも一癖も二癖もあ
る人々であり、諸侯達にしても彼らを自分の許につなぎ止めておくため
に様々の苦心をした。たとえば、家産をなげうって諸侯の食客を膝下に
集め、「天下の士を傾けた」とまで言われる孟嘗君は、貴賤の別なく、
全て自分と同等の待遇をし、また彼らと話すときには常に祐筆を屏風の
かげに控えさせて、彼らの話中からその親戚の住所を書きとめさせ、後
で人をやって進物を届けさせたという。
 
 
 またこんな話もある。趙の平原君が食客を外交使節として、楚の春申
君の許へ派遣した時のことである。平原君の食客は自分がいかに趙で優
遇されているかを誇ろうとして、わざわざ玳瑁の簪を作らせ、佩刀の鞘
には珠玉をちりばめたものを用い、美しいいでたちで春申君の食客に対
面を申し入れた。ところが、出て来た相手を一目見た途端、彼はあっと
赤面した。というのは、春申君の主だった食客達が、揃いもそろって珠
玉をちりばめた靴を履いていたのである。
 
 
 さてこの頃、諸侯に負けてはと躍起になって食客を集めた男がある。
一介の商人から身を起こし、今は強国秦の相国(総理大臣)となり、弱年
の王政、すなわち後の始皇帝を操って威勢を振るっていた呂不韋である
(呂は実は始皇帝の父親である)。始皇帝の父、荘襄王が妾腹の子であ
ったため、趙の国へ人質にやられて小遣いにも事欠くような生活をして
いたときに、「奇貨居べし」と目をつけて莫大な投資をし、ついに今日
の栄華を勝ち得た呂不韋のことだ、信陵君、春申君、平原君、孟嘗君が
盛んに食客を集めてその数を誇っているのを耳にしては黙っていられな
い。
 
 「強大をもって鳴る我が秦国が、こんな事であいつらに見下げられて
なるものか」と、そこは商人、金に糸目をつけずに食客を招いたので、
各地から集まって来た者は三千に達した。
 
 こうなると、ますます彼の欲はふくらんだ。この頃、各国で賢者たち
が著書をあらわし、特に斉・楚に使えた儒者の荀卿なぞは、蜀世を嘆い
て数万言の書物をあらわしたと聞くと、「よし、ひとつ俺もやってやる
か」という気になった。そこで食客たちに命じて作らせたのが、二十余
万言よりなる大冊である。
 
 「どうじゃ、天地万物古今のことは、全てこの中に入っておる。こう
いう大仕事が、わしでなくて誰に出来る」と鼻を高くした彼は、この大
作を自分の編集したものとして『呂氏春秋』と題した。その上に、やっ
たことが面白い。この『呂氏春秋』を都咸陽の城門の前に陳列させ、そ
の上に千両をぶら下げておいて、大きな張り札を出した。
 
 「能く一字を増損する者あらば、千金を予えん。」
 
 つまり、この本の文章を添削できた者には、一字について千金の賞金
を出すというのである。いかにも人を馬鹿にしたやり方だが、これも実
は商魂たくましい彼の食客誘致策だったのである。(「史記」呂不韋伝)
 
 


 

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