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杯中の蛇影

 晉(265~316)に楽広という人がいた。この人にはいろいろな話があ
る。まだ八つのころ、道で遊んでいるときに魏の将軍夏候玄にあった。
夏候玄はこの子の人となりが清らかで、怜悧なのを愛して、学問をすす
めたという。家が貧しいので、ひとりで書を読んで学んでいた。つつま
しやかで、でしゃばらず、人の話によく耳をかたむけるたちであった。
のちに見出されて秀才にあげられ、官についたが、やはりつつましやか
だった。だが、あるとき彼の語るのを聞いた多くの名士たちは、彼の言
を評して、「水鏡のごとくあきらかであり、雲ひらけて青空をのぞむよ
うだ」と嘆じたという。この楽広が、河南の長官であった時のことであ
る――
 
 いつも来る親しい友人があったが、ながいこと訪ねてこない。広はふ
しぎに思ってそのわけをたずねてみた。すると、
 
 「このまえ、うかがって酒をいただいていたときでした。
  飲もうとすると、杯の中に蛇が見えるではありませんか。
  気色がわるいけれど飲みましたが、それから具合が悪いのです。」
 
 おかしいことだ、と広は考えた。このまえ飲んだのは? ……役所の
一室だ。あそこの壁には弓がかかっていたな? そうだ、弓には漆で蛇
の絵がかいてあった。……広はまたその人を招んで、まえの所で酒をく
みかわした。杯に酒をついで、客にたずねた。
 
 「杯のなかに、また見えますか?」
 「ああ、このまえとおなじに!」
 「その蛇は、あの弓の絵の影ですよ。」
 
 客ははっと悟り、病はたちまちなおったという(「晉書」楽広伝)。
 
 
 疑いをもてば、なんでもないことも神経をなやますということに、こ
の語はつかわれるようになった。「杯中の蛇影のみ」といえば、気にや
むほどのことはありませんよ、ということになる。「疑心暗鬼を生ず」
とか、「幽霊の正体見たり枯尾花」とひびきあうことばである。今のこ
とばでいえば、ノイローゼというところか。
 
 
 楽広はもの静かで、目の澄んだ人だったらしい。河南省の役所にあら
われるばけものを、狸と見やぶった話などもある。のちには左僕射(左
大臣)にまでなったが、事に座して陥れられ、憂いながら死んだ。
 
 

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