唐の徳宗の時、広陵というところに淳于芬という者がいた。家の南に
大きな槐の古木があった。ある時、芬が酔ってその木の下で眠っている
と、ふたりの紫衣の男があらわれ、
「槐安国王の御命令でお迎えにまいりました。」
といった。芬が使者について槐の穴の中に入っていくと、大きな城門
の前に出た。「大槐安国」と金書した額がかかっている。国王は芬がき
たのを見ると非常に喜んで娘を娶せた。この国で暮らすうち、芬は友人
の周弁と田子華に出会った。
ある時、国王は淳于芬にむかって、
「南柯郡の政治がうまくゆかなくて困っているのだが、
太守になっていってはもらえまいか。」
といった。芬は周弁と田子華を部下として、南柯郡に赴任した。
芬はふたりの友人の助けをかりて政治につとめたので、郡は非常によ
く治まった。太守となって二十年、人民はみな業に安んじ、碑をたてて
芬の徳をたたえた。国王も芬を重んじて領地をたまわり、宰相とした。
その年、檀羅国が南柯郡に攻めてきたので、芬は周弁を将として防戦さ
せたが、弁は敵をあなどったために敗北してしまった。敵は分取品をも
って引き揚げた。弁は間もなく背中に疽ができて死んだ。
芬の妻も病気になり、十日ほどで死んだ。芬は太守をやめて都に帰っ
た。都における彼の声望は非常なもので、貴顕・豪族はきそって交りを
求め、権勢は日ましに強大になっていったので、国王も内心不安になっ
た。ちょうどこの時、都を遷さねばならぬような異変の徴候があると、
上奏文を奉った者があった。世間では淳于芬の勢力があまりにも強大で
あることが、その禍いの原因であろうと取沙汰した。国王はついに彼を
私邸に軟禁した。芬は自分に過失があったわけでもないのに、不当な扱
いをされたので不満にたえなかった。国王はそれを察して芬を家に送り
返した――。
と、淳于芬はもとのように槐の下に寝ていたのである。あまりに不思
議な夢なので、槐の根もとを見ると果して穴があった。下僕に斧をもた
せてその穴をたどってゆくと、ゆうに寝台一つが入るほどの広々とした
ところがあり、蟻が群がっていた。その真中に大きな蟻が二匹いた。こ
こが槐安国の都で、大蟻は国王夫妻であった。また一つの穴をたどって
ゆくと、南側の枝を四丈ほどのぼったところに、また平らなところがあ
って、ここにも蟻が群れていた。ここが芬が治めていた南柯郡なのであ
った。(柯は枝の意)
芬は穴をもと通りに直しておいたが、その夜大雨が降った。翌日、穴
を見ると、蟻はみないなくなっていた。国に異変がおこって遷都すると
いうのはこのことだったのである。
この物語は唐の李公佐の「南柯記」にくわしく、また「異聞集」に概
略が見える。ここから、ここから、「南柯の夢」とは夢のことをいうよ
うになったのである。