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何の面目あってか之を見ん

作者:未知  来源:日本ネット   更新:2004-11-16 18:57:00  点击:  切换到繁體中文

 

 漢の高祖の五年(BC.202)、漢楚の争いは大詰めに入った。項羽は垓下
に追いこまれて、「四面楚歌」をきき、ついに劉邦(高祖)の前に力尽き
た。
 
 虞美人と別れ、愛馬の騅にまたがり、わずか八百余騎で囲みを突破し
た項羽は、やがて二十八騎になったのを見て、最後の決意をかためてい
たが、臨淮で漢軍をかきまわしたのち、いつしか、南へ南へと向かって
いる自分に気付いていた。やがて、長江の北岸に出た。烏江を東へ渡ろ
うとしたのである。渡ればそこは、自分が挙兵した江東の地であった。
そのとき烏江の亭長が舟をつけて、かれを待っているのが眼に入った。
その亭長は、項羽を見ると言った。
 
 「江東は、天下からみれば、小そうございますが、
  地方千里、民衆数十万、
  なお王たるに足りるところです。
  どうか大王には、いそいでお渡り下さい。
  他に舟はございませんから、
  漢軍が追いつきましても、渡れません。」
 
 すると項羽は珍しく笑って、それをことわった。
 
 「もはや、天が自分をほろばしたのだ。
  自分は渡らんぞ。
  そればかりではない。
  八年前、自分は江東の子弟八千人と、
  この江を渡って西に向かったが、
  いま自分と帰るものは一人もいない。
  たとえ江東の父兄があわれんで王にしてくれても、
  どうして会わせる顔があろう。(我、何の面目あってか之を見ん)」
 
 項羽は、漢軍のはげしい追撃をうけて、苦戦の余り、江東に心ひかれ
てそこまで来た自分を恥じたのであろう。数年前、咸陽を陥れた時、
 
 「錦を着て夜行くが如し」
 
 と言って故郷へ帰った自分が、いまは単騎、戦塵にまみれ、尾羽うち
枯らし、逃げまわっていることを思い知ったのであろう。
 
 「何の面目あってか之を見ん」、それはいかにも戦国の覇王が自分に
言いきかせるのに、ふさわしい、最後の言葉であった。
 
 項羽は愛馬を亭長に与えると、もはや心残りもなく、むらがる漢軍の
中へ斬り込んでいった。数百人を殺したのち、漢軍の中に旧友を見つけ
た彼は、
 
 「自分の首を切って、ほうびをもらえ。」
 
 そう言って、みずから首をはねて死んだ。まだ三十一歳の若さであっ
た。その首には、千金と万戸の邑の賞がかけられていた。むらがる漢兵
のため、身体はバラバラにされた。奪い合いで数十人の者が同士討ちを
して死んだ。バラバラの死体は再びつなぎ合わされて、項羽の死体であ
ることが確かめられ、それぞれ賞の領地を与えられた。
 
 その風景は、「何の面目あってか之を見ん」と言った項羽の言葉とい
ちじるしく対照的であった。腸をどろりと出し、ゴロリところがされ、
つなぎ合わされた、異様な死体は、十二月の寒風に吹きさらされて、浅
ましい人間の世界を嘲笑しているように見えた。
                        (「史記」項羽本紀)
 


 

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