時は戦国時代。周室の威令は全く地を払い、群雄は天下に乱立して、
互いに覇を競い合っていた。あちらでも、こちらでも、戦いが繰り返さ
れ、土地や城を取ったり、取られたり、血生臭い風が中国全土を覆って
いたことは、日本の戦国時代と同様だった。
そんな時代だから、兵器の消耗も激しく、良い武器は飛ぶように売れ
た、そのころ、ある町の、ある街頭に、盾と矛を地面に並べて売る男が
いた。戦争も一時小康状態にあり、人々はいつ襲ってくるかも知れぬ戦
雲に怯えながらも、僅かな平和の日を楽しむため街頭に繰り出し、町中
は織りなすような雑踏ぶり。西に東に往来する人々の頭上に、いろんな
物売りの呼び声を圧して、この男の濁声が響き渡った。
「さぁお立ち会い。
手前これに取り出しましたる盾、
どこにでもかしこにでもある盾とは、同じ盾でも盾が違う。
名人の手に成るこの盾の堅いことは天下無敵。
どんな鋭い矛を持ってしても、決して突き破れぬと言う逸品じゃ。
さぁ買ったり、買ったり。
敵はいつ攻めて来るか解りませんぞ。
その時になって慌てても、もう遅い。
さぁ、早いが勝ちじゃ。買った、買った。」
ガマの油売りの口上よろしく、一頻り大声を上げた男、こんどは脇に
置いてあった矛を取り上げ、朱房の付いた刃を日光に煌めかせながら、
前よりも一層声を大きくしてわめいた。
「さて、皆の衆。こんどはこれなる矛じゃ。
目を開いてとくとご覧じろ。
玉の散るような氷の刃、焼きといい、匂いといい、
全く天下にこれほど素晴らしい矛は見たこともあるまいがな。
皆の衆、この矛にかかっては、どんな盾でも突き破られてしまう。
この矛にかなう盾があったら、
皆の衆、お目にかかりたいものじゃ。」
さっきから黙って聞いていた一人の老人、“ゴホン”と咳ばらいをし
て、やおら口を開いた。
「なるほど、お前さんの持って居なさる盾と矛は素晴らしい物じゃ。
だが、わしは歳を取ったせいか、頭が悪うて、
どうにも解らぬ事が一つある。
それはじゃ、お前さん自慢の、どんな盾でも破る矛で、
もう一つの、どんな矛でも破れぬ盾を突いたら、
一体どっちが勝つじゃろうか。
その辺の所をとっくりと教えて下され。」
男はグッと詰まった。
「それは、そのぉ・・・。」
「さあどうなのかな、ここが肝心な所じゃて。のう、皆の衆。」
爺さんは意地が悪い。いつの間にか黒山を築いている見物人をグルリ
と見まわし、勝ち誇ったように叫んだ。口も開けず、青くなったり、赤
くなったりしていた男はいきなり商売道具を一纏めにすると、コソコソ
と人混みの中へ姿を消してしまった。その後ろ姿を、群衆の笑い声が追
いかけた。
この話は戦国時代の強国である韓の王族の一人で、学者である韓非の
書いた「韓非子」(難一・難勢篇)という本にある。
こうして生まれた矛盾という言葉が、後には“絶対矛盾の自己同一”
とか“主要矛盾の側面”とかの、難しい使われ方をするようになった。