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誹謗の木

作者:未知  来源:日本ネット   更新:2004-11-16 19:00:00  点击:  切换到繁體中文

 

 堯・舜二帝は、古代中国人の素朴な思念の中から生まれ出た、理想の
聖天子である。もちろんそれは有史のはじめから更に何千年か遡る伝説
時代の人物であるから、その歴史的実在性は疑ってかかれば、いくらで
も疑える。堯舜抹殺論はすでに歴史学の常識であると言ってもよい。に
もかかわらず、古伝古書を通じて、堯舜の存在は、古代人の胸中に抹殺
さるべくもなく、いと鮮やかに生き続けている。これもまたそうした堯
舜理想政治の一端を物語る伝説の一つである。
 
 
 帝堯陶唐氏、姓は伊祁、名は放勛、帝窖の子、その仁は天の如く、そ
の知は神の如く、恵み深く聡明な天子として、天を敬い人を愛する理想
の政治を執り行なって、天下の人々からしたわれていた。彼の住居は、
端も切り揃えぬ茅葺きの屋根、僅か三段の土の階しか設けぬ質素な構え
で、富あれども人に驕らず、貴けれども人を慢らず、ひたすら政治の善
くあれかしと心を砕いた。
 
 彼は自分の施政に独り善がりの誤りがあっては為らぬと考えて、宮門
の入口に大きな鼓を置き、また御橋のたもとに四本の木で組んだ柱を立
てた。鼓は「敢諫の鼓」と名付けられ、誰でも堯の政治に不備な点を見
つけたものは、その鼓を打ち鳴らして、遠慮なく意見を申し立てるよう
に、柱は「誹謗の木」と名付けられ、誰でも堯の政治に不満のあるもの
は、その柱に苦情を書き付けて希望を申し出るようにと言うのである。
「敢諫」は敢えて諫める、反対意見の上申であり、「誹謗」は誹り謗る、苦
情悪口の吐露である。堯がこれらによって、いっそう的確に民意の所在
と動向を知り、自己の反省の資料ともして、民意を反映した政治に心が
けたというのである。
 
 
 一説では「敢諫の鼓」を堯のこと、「誹謗の木」を舜のこととして説
く所伝もある。また一説では堯が「進善の旌、誹謗の木」を立てたとも
いう。「進善の旌」の方は、旗を大道の傍らに立て、善言――政治につ
いての善い意見のある者に、その旗の下で自由に意見を発表させたとい
うのである。
 
 いずれにせよ、これはまだ「人民による」デモクラシーの段階からは
ほど遠い古代帝王の専制政治ではあるけれど、政治を民意に本づけると
いう理念を示すもの、或いはまた政治には我々に意見をも採り入れよと
いう人民の意志、願望を示すものとして書き伝えられた伝説として興味
深い。
 
 
 なお「誹謗の木」は四本の木を縦二本横二本に組み合わせたもので、
後世の「華表」(とりい)の始まりとも言われている。
 
 


 

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