春秋時代も末に近い呉・越両国の抗争しきりな頃、越王勾践が呉王夫
差の油断を誘うために献じた美姫五十人の中で、随一の絶色に西施と言
う女性が居た。この話はその西施にまつわる話と言うことになっている
が、語り手は寓言の名人荘子だから、実は西施でなくても良いのだ。さ
て「荘子」の「天運篇」の寓言はこう語られてる。
西施があるとき癪を病んで郷里に帰省した。癪で痛む胸を押さえ押さ
え、眉を顰めて歩いていても流石は絶世の美人、得も言われぬ風情で、
見る人々をウットリさせる。それを見ていたのが村でも評判の大醜女の
某女、自分もシャナリシャナリと胸を押さえ、眉を顰めて村の通りを歩
いてみたが、村人達はウットリ見惚れてくれるどころではない。ただで
さえグロテスクな女の、とんでもない恰好に怖じ気を付いて、金持ちの
家では大門をピシャリと閉ざして外に出ようとせず、貧しい家でも、男
達は妻子の手を引いて、村の外まで逃げ出してしまった。
ところでこの話、荘子は孔子の弟子の顔淵と、道家的賢者として拉し
きった師金と言う人物の対話の中で、師金の語る孔子批評の言葉に関連
させている。つまり春秋の乱世に生まれて、魯や衛の国に、かつての華
やかりし周王朝の理想政治を再現させようと言うのは、とんでもない身
の程知らず、西施の顰みを真似る醜女みたいなもので、人から相手にさ
れようがない。