昔、中国の北方に住む異民族を総称して胡と言い、漢民族から大変恐
れられていた。これはその胡の地との国境に位置する城塞の辺りの話で
ある。
この地に占術などに通ずる老翁が住んでいたが、ある時いわれもなく
翁の馬が胡の地に逃げてしまった。南船・北馬と言われる北の大地で馬
を失ったことを、近所の人が気の毒がって慰めに来てくれた。すると翁
は一向に気にとめる様子もなく言った、
「これがどうして幸福に転じないことがありましょうや。」
果たして数カ月もたつと、その馬はどうしたわけか胡の良馬を連れて
帰ってきた。人々は早速お祝いの言葉を言いに来たが、
「これがどうして禍に転じ得ないと申せましょうか。」
と、少しも嬉しそうでなかった。
翁の家は良馬に富むようになったが、やがて乗馬の好きな息子が、馬
から乗り落ちて股の骨を折ってしまった。ビッコになった息子を可哀想
に思った村人は、また翁を慰めにやって来た。
「いやいや、何でこれが幸福にならないことがありましょうや。」
翁は依然として平気の平左であった。
その後一年たった頃、胡人が城塞に雪崩れ込んで来た。村の若者とい
う若者は弓を引いて戦い、十人の中で九人までも戦死した。しかし翁の
息子は不具者であった為戦争に駆り出されず、父子ともに無事であった
という。
この話は『淮南子』の(人間訓)にあるが、この前にも同じ趣旨の話
が載っている。
昔、宋の国の善根を積んだ人の家で、黒牛が白い子牛を産むという吉
祥が二度もあった。だがその度に父と子が順に盲目となると言う不幸な
結果となった。しかしその後、楚の国に攻められ、並の人間は全て酷い
目にあったとき、この父子だけが盲目の故に生命を完うしたばかりでな
く、戦い終わったあと目が見えるようになったと言うことである。
いずれも「禍福は糾える蠅の如し」(「史記」南越伝、「漢書」賈誼伝等
の類語から転じて出来た語)の良いサンプルであって、「人間万事塞翁
が馬」は前の話から出て、“人間の吉凶禍福の定まり難いこと”を意味
してる。なお単に、「塞翁が馬」とも言う。
元僧飢熙晦機の詩に「人間万事塞翁が馬、推枕軒中雨を聴いて眠る」
(推枕軒は晦機の居室のこと)とあるが、これがこの語を最初に用いたも
のであろう。
上の二つの話は禍福がただ転換することや、人生の偶然性を指してい
るように思われるが、『淮南子』の本意は“偶然と見えることも皆人間
が自ら招くものだ”と言うところにあるらしい。
それは〈人間訓〉の書き出しの一部に、“それ禍の来るや、人自らこ
れを生ず。福の来たるや、人自らこれを生ず”とあるからである。