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細 君

 英語はワイフでこと足りるが、日本語はそうはいかない。北の方とは
いかなくとも、妻・家内・女房・うちのかみさん・かかあに至るまで千
変万化、機に応じて使いわけるしかけである。ここに細君の語も割りこ
んでくる。この「細君」の由来は古く、すくなくとも千七百年前、前漢の
武帝のころまでさかのぼる。武帝はおおしく、あらあらしく、典型的な
古代帝国の専制君主だったが、その宮廷にひどく風がわりな人物がまじ
っていた。名を東方朔という。
 
 
 武帝即位の初め、広く天下から有能の士を募った。そのとき斉(山東)
の人で東方朔と名のるものが、自分を推薦するため上書をした。どっか
り役所に運びこんだのは、なんと三千枚の簡牘。武帝は一枚、一枚と読
んだ。文は堂々として、人もなげな風がある。二月かかってやっと読み
終えた武帝は、 東方朔を郎に任命した。これから朔は武帝の側近く仕
え、しばしば召されて語りあったが、口をついてでる言葉は奇知にかが
やき、武帝をいたく喜ばせた。行いもそうだった。ときどき帝の前で食
事を賜わる。食べおわれば、余った肉をさっさと懐に入れて帰るから、
衣服はまるで台なしになる。そこでカトリ帛を下賜すると、それを肩に
ひっかけて持ち帰る。廷臣は、朔を半ば気ちがいあつかいにした。
 
 
 さて、夏のさかりの三伏には、皇帝から廷臣に肉を賜わるのが習わし
だった。その日、肉の用意はもうできたのに、分ける役人がなかなか来
ない。朔は剣を抜いて肉を切ると、懐にたくしこみ、「お先にごめん」と
引きあげてしまった。もちろん御注進があり、朔は帝によびだされて、
わけをきかれた。朔は冠をぬいで、一礼。武帝がさらに問いただすと、
朔は答えた。
 
 「まったくもって、詔も待たず、
  かってに頂戴いたすとは、なんと無礼でありましょう。
  剣を抜いて肉を切る、まあなんたる壮烈さ。
  切りとる肉はほんのちょっと、なんと廉直でしょうか。
  おまけに、持ち帰った肉は細君に贈る。
  なんと情にあふれるわざでしょう。」
 
 武帝大いに笑って、酒一石と肉百斤をまた賜わり、「帰って細君につ
かわせ」といったという。            (「漢書」東方朔伝)
 
 
 細君の語が広く使われるようになったのは、このあたりからである。
これにはさまざまな説がある。諸侯の夫人のよび名が小君だったことが
「礼記」などに見え、小君はすなわち細君、だから東方朔はじぶんを諸侯
にたとえ、妻を細君とよんだのだともいう。また漢代には、細君という
字をもったものも散見するので、朔の妻の名が事実細君だったともいわ
れる。ともかく、ここから細君はしだいに、自分の妻をいうことばとな
り、また他人の妻をもそういい、妻君と書かれるようにもなってきた。
だが東方朔は、ただ滑稽な人ではなかったようだ。彼は博く書を読み、
事にあたっては武帝をはっきり諫めた。武帝が莫大な人民を駆って上林
苑を造ろうとしたときは、おそれず反対している。彼は公卿といえども
はばかることなく、むしろこれを翻弄した。酒に酔うと、「わたしは宮
殿のうちに世を避ける。世を避けるのは深山の、草のいおりには限るま
い」と歌ったという。このような彼を庶人も愛したのだろうか。彼には
さまざまな伝説がつくられたらしい。西王母の桃を三つ盗み食いしたの
で、長命だったなどという話である。だから、落語「厄払い」にもこうあ
る。
 
 ……アーラ目出度いな目出度いな、目出度きことにて払いましょう。
   鶴は千年亀は万年、浦島太郎は三千歳、三浦の大輔百六つ、
   東方朔は八千年……
 
 

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