您现在的位置: 贯通日本 >> 文学 >> 中国故事 >> 正文

一将功成りて万骨枯る

作者:未知  来源:日本ネット   更新:2004-11-13 18:57:00  点击:  切换到繁體中文

 

大唐とまでいわれ、その文化を咲き誇る牡丹にたとえられた唐代も、
ついに急傾斜の道をたどりはじめた。朝廷のおごりはつのり、租税はき
びしい。各地に反乱がおこった。その鎮圧費をまかなうため、税はまた
また重くなる。地方の政治はみだれ、くらしのめどを失った人々は各地
に流浪し、山林にかくれては盗賊となった。この傾きはしだいにはげし
く、僖宗皇帝の代には、ついに唐の土台をくつがえす大波となって、あ
れくるった。
 
 河北におこった王仙芝は、山東に侵入して政府軍をつぎつぎに撃破し
た。黄巣がこれに応じて、山東を荒らした。飢えに苦しむ民衆がこの反
乱に加わって、その軍は雪だるまのように大きくなり、またたくまに数
万にのぼった。やがて王仙芝はたおれたが、別軍の黄巣は根づよい力を
もっていた。山東、河南から湖北にむかったその軍は、王仙芝の残軍を
加えて、さらに西のかた広東をつき、ついに鉾を転じて北上を始めた。
ときには敗れてもその軍は地からわくように再生し、ついに揚子江をわ
たって唐の都、長安を落とそうという勢いを示すに至った。天下は、あ
げて戦火に巻き込まれた。
 
 各地の将軍や節度使(いわば鎮守府長官)たちは、それぞれの思惑で動
きはじめた。彼らは、この時こそ「英雄の功名を立て、富貴を取るべき
の好機会」と考えたのだ。黄巣軍から寝がえり、のちに唐室を亡ぼした
朱全忠や、のちの晉王李克用もその中にいた。戦い、寝がえり・・・・
混乱した情勢がつづいた。そして名もない民衆は、土地をあらされ、あ
るいは軍にかりだされて骨となり、また故郷をはなれて、あてもなく流
浪していた。
 
 このころ、僖宗の乾符六年、すなわち己亥の歳に、老詩人曹松はこう
うたっている。
 
     沢国の江山 戦図に入る。
     生民なんの計あってか 樵魚を楽しまん。
     君にたのむ 語るなかれ封侯のこと。
     一将功成りて 万骨枯る。   (「己亥歳詩」)
 
  江淮の山も、川も、いまは戦火にまきこまれた。
  木をきり、魚をとる、庶民ののびやかなくらしも、
  どうしてつづけられようか。
  君よ、諸侯に任ぜられるとかなんとか、
  そんな話は聞かせないでくれ。
  将軍が功をたてて、諸侯になるなどという、
  そのかげには、骨となって朽ち果てる、
  名もない何万の人がいるのだよ。
 
 これから、「一将功成りて」のことばが使われるようになった。しか
し、このことは、混乱をきわめた己亥の歳だけではないもののようだ。
遠く陝西のかなたで、匈奴と戦う辺疆の人々のことを、陳陶はこううた
っているのだ。
 
     誓って匈奴を掃うと 身をかえりみず、
     五千の貂錦 胡塵にうしなう。
     憐むべし 無定河辺の骨、
     なおこれ春閨夢裏の人。   (「隴西行」)
 
  誓って匈奴を討つと、身をかえりみずに出ていった。
  だが、五千の軍士達は、辺疆の砂塵のうちにたおれてしまった。
  今は無定河のほとりに、あわれな骨がのこるばかり。
  ああ、今も故郷にのこる妻子達は、春の夜の夢のうつつに、
  なお懐かしいその姿をもとめているであろうに。
 
 
 武勲にかがやく将軍の陰に、また咲きほこる文化や政治の陰に、この
ようにして枯れ果てる万骨があったのであろう。軍事にはかぎるまい。
ときめく大官や、富豪のうしろにも、苦しみうごめく陰はあったであろ
う。そしてまた、これは・・・唐ばかりではない。今の私達にも、けっ
して無縁ではないようだ。
 
 


 

作品录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇作品:

  • 下一篇作品:
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    村上春树《骑士团长杀人事件》

    日本作家到底多有钱,看看村上

    日媒推荐七部日本轻小说入门作

    日本明治时代可以靠写作维生吗

    林少华:村上春树审视的主题依

    告诉你一个真实的芥川龙之介

    广告

    广告