戦国時代は中原の諸侯が覇権を争い、弱肉強食の武力抗争に明け暮れ
した時代である。この血みどろの現実をひややかにうち眺めて、蝸牛の
角の上での争いにも似たおろかしい行為だと断じ去るのは、同じ時代に
生きた諷刺哲学者荘周(荘子)である。だからその著書「荘子」の「則陽
篇」にあるこの話、発端はまともな歴史的事実を借りているし、登場人
物もおおむね実在の人物ではあるが、結局はやはり荘子一流の寓言――
作り話として味読すべきである。
梁の恵王は斉の威王と盟約を結んだが、のちに威王がこれに背いたの
で、怒ってひそかに刺客を放ち、威王を暗殺しようと計った。恵王の家
来の公孫衍はその計画を耳にすると、暗殺などは恥ずべき卑怯な行為だ
と考えて、王の前に罷り出で、堂々と実力をもって斉の国に攻め入りこ
れを伐ち懲らすべきだと主張した。もうひとりの家来の季子はその議論
を耳にすると、兵端をひらいて人民を苦しめるのは恥ずべき無道の行為
だと考えて、王の前に罷り出で、
「戦を好む者は国を乱す者、お聴きいれになってはなりません。」
と反対した。もうひとりの家来の華子はそれを聞くと、また眉をひそ
めて王の前に罷り出で、こう申しあげた。
「これらの論者はともに国を乱す者でありますし、
これらの論者を評して国を乱す者という者も、
なお是非の分別にとらわれている点において同じく国を乱す者と
言わねばなりません。」
「ふうむ。するとどうすればよいのじゃな。」
「是非の分別を去った『道』の立場から
ものをお考えになることです。」
その話をきいた宰相の恵子は時期よしと見て、賢者の聞え高い戴晉人を恵王に引きあわせた。賢者はさっそく王に向かって語りはじめる。
「蝸牛というものがございますが、
ご存じでいらっしゃいましょうな。」
「知っておるとも。」
「その蝸牛の左の角には触氏という者が、
右の角には蛮氏という者が国を構えておりましてな。
お互いに領土を争って戦争をはじめ、死者数万、
逃げる敵を逐うこと十五日にして
はじめて鉾を収めたということでございます。」
「なんだ馬鹿馬鹿しい、嘘っぱちの話ではないか。」
「左様。ではこれを真実の話に引きあてて御覧にいれましょう。
一体あなた様は、
この宇宙の四方上下に際限があるとお考えになりますかな。」
「いや際限とてあるまいな。」
「なれば、心をその無窮の世界に遊ばしめる者にとっては、
人の往来交通する地上の国々など有るがごとく
無きがごとくのとるに足らぬものとも言えましょう。」
「うむ、なるほど。」
「その国々の中に魏という国があり、魏の中に梁という都があり、
梁の中に王がおられる。宇宙の無窮に比すれば、
斉を伐とうの伐つまいのと思い迷われる王と、
蝸牛角上の触氏・蛮氏とに
どれほどの相違がございましょうかな。」
王は苦笑して言った。
「なるほど、同じことかもしれぬわい。」
戴晉人が退出すると、さすがに恵王もがっかりして気の抜けたような
有様。後から御目通りに出た恵子に向かって、
「あの男は大した人物じゃ。聖人といえども及ぶまいな。」
と嘆息まじりに呟いた。そこで恵子はすかさずこう言った。
「左様でございます。笛は吹けば[ひゅう]と音を発しまするが、
剣の柄の小孔は吹いても[すう]と息が抜けるだけでございます。
世間の人は堯・舜を聖人としてほめそやしますが、
これをあの戴晉人の前に出しますれば、
それこそ[すう]の一息に似て、とてもくらべものになりませぬ。」