您现在的位置: 贯通日本 >> 文学 >> 中国故事 >> 正文
肝胆相照らす

 肝胆相照らすとは、互いに心の中を打ち明けて隔意無いことを示し
合うことを言い、「柳子厚墓誌銘」に韓愈が書いている。
 
 韓愈は厳しい現実主義者の眼を、彼が尊重する友情の世界にも注い
でいたらしい。李観や孟郊の様な良き友人を多くもっていた彼は、軽
薄な交際を憎んだ。
 
 似て非なる友情の本質を見極め、その信ずべからざる事を永遠の名
文で書き残している。おそらく、生涯に幾度と無く出会った不遇時代
に真の友情と然るべからざるものを区別する能力を身に付けたのであ
ろう。「柳子厚墓誌銘」で次のように述べている。
 
「嗚呼、人は困った時にこそ、初めて本当の節義が見られるものだ。
普段、無事に村や街に住んでいる時には、懐かしがり悦び合い、酒食
や遊びに呼んだり呼ばれたりして、大きな事を言ったり無理に笑い話
をしたり、お互いに譲り合い、手を取り合って肝肺を出して相示し、
太陽を指し涙を流して誓いをたて、生きるも死ぬも背かないと言えば、
如何にも本当らしいが、一旦髪の毛一筋ほどの利害関係が生じれば、
今度は眼を背けて知り合いでも無いような顔をしている。落とし穴に
落ち込んでも、一度でも手を引いて救ってやろうとしないばかりか、
かえって相手を突き落として、上から石を投げるような真似をする者
が世間いたる所に居るのである。」
 
 こう見ると肝胆相照らすという言葉はその発生に於いて、既に虚偽
の響きと、裏切りの要素をも内包している。本物の肝胆相照らす如き
友情は、希有であるだけに、ますます高き価値がある。
 

[1] [2] [下一页]

作品录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇作品:

  • 下一篇作品:
  • 发表评论】【加入收藏】【告诉好友】【打印此文】【关闭窗口

    相关文章

    李下に冠を整さず
    陽関三畳
    無用の用
    矛 盾
    満を持す
    不倶戴天の讎
    百聞は一見に如かず
    誹謗の木
    顰みに効う
    杯中の蛇影
    年々歳々花相似たり
    人間万事塞翁が馬
    鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん
    似而非なる者
    錦を衣て夜行くが如し
    南風競わず
    何の面目あってか之を見ん
    南柯の夢
    涙を揮って馬謖を斬る
    飛んで火に入る夏の虫
    虎を画きて成らず反りて狗に類す
    虎の威を借る狐
    塗炭の苦しみ
    独眼竜
    蟷螂の斧