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雁書

作者:未知  来源:日本ネット   更新:2004-11-13 19:13:00  点击:  切换到繁體中文

 

 果てしない空、そして、その下には目路のかぎりつづくかとみえる、
海のような湖、また湖のまわりの大密林。人かげもない。だが今、とあ
る丸木小屋から、その湖のほとりにさまよいでた男があった。手には弓
矢、頭から毛皮をかぶり、髭はぼうぼうと顔をおおう。まるで山男だ。
だが、その眼のなかには、澄んだ不屈の輝きがある。頭の上をこうこう
となきわたる音に、彼はふっと空をみあげた。
 
 「雁がもう渡るそうな。」
 
 この人、名を蘇武という。
 
 蘇武は漢の中郎将であった。武帝の天漢元年彼は使いとして、北のか
た匈奴の国に赴いた。捕虜交換のためである。だが、匈奴の内紛にまき
こまれて、使節団はすべて捕えられ、匈奴に降るか、それとも死ぬか、
と脅かされた。そして、蘇武だけはついに降らなかったのである。彼は
山腹の窖にとじこめられ、食を絶たれた。そのとき、彼は毛氈をかみ、
雪をのんで飢えをしのいだという。蘇武が何日たっても死なないのを見
た匈奴は、これを神かとおどろき、北海(バイカル湖)のほとりの人けも
ないところにやって、羊を飼わせることにした。だが与えられたのは牧
羊ばかりであり、そしてこう言われたのである。
 
 「牧羊が子をうんだら、国に帰してやろうさ。」
 
 そこにあるのは空、森、水、きびしい冬、そして飢えだった。盗賊が
彼の羊をぬすんでしまった。彼は野鼠を掘って飢えをしのいだ。それで
も彼は匈奴に降ろうとはしなかった。いつかは漢に帰れる、と期待した
からではない。ただ、降ろうとしなかったのだ。
 
 この荒れはてた地の果てに流されて、もう何年の歳月がたったのか、
それすらもおぼろであった。きびしい、単調な日々。しかし、ひろびろ
とした空を渡る雁は、蘇武にその故郷を想わせるのだ。‥‥
 
 武帝が死に、つぎの昭帝の始元六年、漢の使いが匈奴のもとに来た。
漢使は、先頃匈奴に使いしたまま消息を絶った蘇武を還してほしい、と
要求した。匈奴は、蘇武はもう死んだ、この世の者ではない、と答えた
。真偽を押してたしかめるすべは、漢使にはなかった。だが、その夜の
ことである。さきに蘇武とともに来て、ここに留まっていた常恵という
ものが、漢使をたずねて、なにごとか教えた。つぎの会見のとき、漢使
は言った。
 
 「漢の天子が、上林苑で狩りをしておられたとき、
  一羽の雁をしとめられた。
  ところが、その雁の足には帛がつけられ、
  帛にはこう書いてあったのだ。[蘇武は大沢の中にある]と。
  蘇武が生きているのは明白だ。」
 
 匈奴の単于(酋長)は驚きの色をみせ、なにか臣下とうちあわせた。そ
して言った。
 
 「まえに言ったのはまちがいだった。蘇武は生きているそうだ。」
 
 作り話は、巧くあたった。たちまち使者がバイカル湖めざして奔り、
蘇武はつれもどされた。髪もひげもことごとく白く、破れた毛皮をまと
った姿は牧人と変わりなかったが、その手には、漢の使者の手形である
符節をしっかりとにぎっていた。
 
 蘇武は国に帰ることになった。捕らえられ、北海のほとりで飢えや寒
さとたたかううちに、いつか十九年がたっていた(「漢書」蘇武伝、「十八氏略」)。
 
 この故事がおこりとなって、手紙やおとずれのことを、「雁書」と言い
ならわすようになった。また雁札、雁信、雁帛などともいう。わが国で
も古くからよく使われることばである。雁の玉章、かりの便り、かりの
使い、雁の文章などとも言いならわす。
 
 風が立ちそめるころ、大空をこうこうと鳴きわたる雁のむれは、たし
かに何かをわたしたちのもとにもたらすのだ。そして、よし手紙ではな
いにしても、わたしたちの心のなにかを、ともに運んでゆくのである。
わたしたちの想いはそれを追って遠くのかなたへかけてゆく。

  九月のそのはつかりの使いにも
    おもう心はきこえ来ぬかも  (万葉集)
 


 

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