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牛耳を執る

作者:未知  来源:日本ネット   更新:2004-11-13 19:18:00  点击:  切换到繁體中文

 

 わが事は成った! 呉王夫差は思っていた、そう思う理由はあったの
だ。父の仇であり、長年の宿敵である越は、完膚なきまでにたたきのめ
し、属国にしてしまった。越王句践は肝をなめて復仇したがっっている
そうだが、なにができるものか。…南方の楚、北方の斉も攻め破った。
さえぎるものはない。そして今、この黄池に中国の諸侯を集めている。
ここで認められれば、名実ともに、広大な中国に覇を称えられるのだ。
 
 一つだけ問題があった、牛の耳である。盟いのときに牛の耳を執る順
序について、夫差は、自分が先に執って血をすするのだというのに、晉
の定公が反対し、自分こそ先だと言いはるのだ。だから、黄池の会はも
うながいのに、まだ盟いができない。じりじりする、だがながいことも
なかろう、連れてきた呉の大軍がものを言うさ……と、夫差は考えてい
た。
 
 だが、折りも折りだった。本国から早馬がかけつけた。越がついに軍
をおこしたのだ! たしかに、呉軍の主力が出はらっている今こそ、越
にとって絶好の機会だった。名臣范蠡の軍は海ぞいから淮河をさかのぼ
り、夫差の太子を破って、とりこにした。越王句践は、きたえぬいた精
兵をひきい、江をのぼって呉の都に突入していた。夫差にとって、足も
との砂がくずれるような瞬間だった。今こそ覇者にと思った、その折り
も折りに!
 
 夫差は眉をしかめ、考えふけった。ついに決心がついた。その夜、彼
は軍勢に戦いの準備をさせた。馬の舌をしばり、鈴をつつみ、旗差物を
つらねて、呉軍三万は粛々とすすみ、やがて晉軍まぢかに陣を布いた。
夜のほのぼの明け、夫差は命令を下した。たちまち、鉦太鼓が鳴りわた
り、雄叫びは天地をふるわせた。晉の陣が、右往左往するもよう。やが
てそこから晉公の使者がかけつけて伝えた。
 
 「本日の昼を期して、盟いをいたしましょう。」
 
 強行策は成功したのだ。その日、晉の定公は、ついに夫差が先に牛耳
を執ることを認めた。呉公夫差として、という条件はつけられたが、今
の夫差には、それはどうでもよかった。一刻も早くかたづけて、国に帰
らねばならない。……
 
 牛の耳をとり、それを裂いて、夫差は先に血をすすった。これが覇者
のしるしであり、このためにこそ苦心をつづけてきたのだ。感無量であ
った。……だが、夫差は知っていただろうか、それは彼にとって、落日
の最後の閃きのようなものであったのを。彼はその後、越に敗れつづけ
る。そして六年後、越の大軍にかこまれて、寂しく自決するのである。
 
 だが、夫差がこれほどに執着した、「牛耳を執る」とは、いったいな
んなのか? それは、古代中国で、諸侯が集まって盟いするときの一儀
式である。牛の耳をとり、裂いて血をすすりあう、こうして神前に誓い
をたてるのである。牛の耳には穴がないように見える。神の前に誓いを
たてる面々は、こうして牛の耳をとって、自分はちゃんと耳の穴をあけ
よう、神の言を聞こうと、自ら戒めたのだといわれている。
 
 その昔は、牛耳を執るのは地位の低いもののほうで、地位の高い盟主
は、ただ立ちあうだけだったらしい(「左伝」・定公八年)。 それがいつ
か、最も尊いもの、つまり盟主がまず牛耳を執ることになった(「左伝」
・哀公十七年)。 だから「牛耳を執る」ということが、その会合で盟主
と認められたことを意味することになったのだ。さてこそ、夫差にかぎ
らず、中国の諸侯は、「牛耳を執る」ことに熱中していたのである。
 
 諸侯はほろび、儀式はすたれたが、このことばは残った。そして、同
盟の盟主になること、団体や集まりの首領になることを、このことばで
表すようになった。「いっちょう牛耳ってやるか」などというのも、こ
の変形だ。
 
 牛の耳、それの執りあい、血のすすりあいで目の色をかえる。ちょっ
とおかしいが、笑うわけにもいくまい。一枚の紙が、人を戦いに連れて
いった。一枚の札も、目の色をかえさせる。
 
  (黄池の会で、呉王と晉公のどちらが先に牛耳を執ったかについ
   ては、史記でも左伝でも両説あって、決しがたい。ここは仮に、
   春秋が外伝といわれる「国語」の叙述にしたがった。)
 
 


 

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