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巧言令色鮮なし仁

 ――巧言令色、鮮なし仁。(巧言令色鮮矣仁。)(「論語」学而篇・陽貨篇)
 
 というのは、孔子の言葉で、「口先が巧みで、角のない表情をするも
のに、誠実な人間はほとんどない」という意味である。
 
 これを裏返して、孔子はまた、
 
 ――剛毅木訥、仁に近し。(剛毅木訥近仁。)(「論語」子路篇)
 
 すなわち、「剛毅で飾らぬ人間は、(誠実なのだから)完成した徳をそ
なえたものに近い」とも言っている。利己的な打算がなければ《飾る》
必要がないのだから、当然《木訥》になるであろうし、みずから正しい
と信ずるものの前には、その生命さえ惜しまぬなら、当然《剛毅》にな
るであろう。しかし、このような人間でも、《仁》(完成した徳をそな
えた人間)そのものではない。
 
 孔子は、
 
 ――文質彬々として、然る後に君子なり。(文質彬彬、然後君子。)
                       (「論語」雍也篇)
 
 とあるように、文(形式)と質(実質)とが彬々として(調和して)いるこ
とを、君子(徳をそなえた人間)の条件としていたのである。
 
 だから、弟子たちには、
 
 ――博く文を学び、之を約するに礼を以てす。
         (博学於文、約之以礼。)(「論語」雍也篇・顔淵篇)
 
 と、多方面に文(ここでは学問すなわち実質)を学び、それを礼(形式)
で整理統制することを強調しているのだ。決して剛毅木訥という荒削り
な態度を薦めているわけではない。
 
 しかし、その剛毅木訥を推称しているかに見えるほど、孔子は、巧言
令色の徒を憎んでいた。
 
 その増悪は、
 
 ――その之を言うてハジざれば、則ち之を為すや難し。
     (其言之不zuo<立心偏+乍>、則為之也難。)(「論語」憲問篇)
  (臆面もなくものを言うような奴には、到底実行はできぬものだ。)
 
 と言う痛烈な言葉を吐かしているほどである。孔子は何よりも、巧言
や令色によって、他人を瞞着する、その狡猾さを憎んだのだ。
 
 
 政党の公約は不履行に終るのが常識だが、国民を欺瞞して恥じぬこの
ような巧言令色の徒の充満している今日、孔子のこの言葉には、私たち
の俗根を凛々と打ち叩くものがあるのではないか!
 
 

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