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虎穴に入らずんば虎子を得ず

作者:未知  来源:日本ネット   更新:2004-11-15 20:30:00  点击:  切换到繁體中文

 

 「漢書」を顕したのは後漢のはじめの班彪・班固・班昭の父子である
が、彪を父にもち、固と昭を兄妹とする班超は、この一家ではいささか
毛色の変った存在だった。なかなか勇壮活溌な生れつきで、およそ系統
だった学問とは縁がなさそうにおもわれるのに、いざとなると意外に弁
舌がたつし、書物もたくさん読んでいる。もともと清貧をもって聞えた
家柄のうえに、厖大な資料集めに家産を傾けてしまっていたから、班超
もこと志とちがい、退屈な役所勤めをしてどうにか口すぎをしていた。
 
 そして時に、
 
 「男と生れたからには、傅介子・張騫のように、
  手柄を西域でたてたいものですね。
  それで大名にとりたてられれば、わが志なれり。
  いつまでもこんなつまらない事務なんか執っていられますか。」
 
 というような、平凡な事務屋の度肝を抜くような大きなことを言うの
だった。こんな調子だから、小役人など尋常に勤めあげられようはずが
ない。ついに事に坐して免職されている。浪人生活に入ってからは、西
域往来の商人や、気概を尊ぶ遊侠の士と交わり、静かに機会のくるのを
待っていた。
 
 その知識と能力を見出されて、はじめて西域に武名をとどろかしたの
は四十に手のとどく頃だったが、それからの班超の西域経綸ほど、華々
しいものはない。彼の往くところ、どんな困難にぶつかっても、おのず
から道が開けるかのようだった。
 
 
 例えば、天山南路と天山北路の分れ道に当る、本土に一番近いオアシ
ス国ゼン善で示した、あらゆる緊急の事態への対応ぶりにうかがわれる
ように。――
 
 最初のうちゼン善から手厚い待遇をうけた班超の一行は、或る日手を
翻すように悪くなった彼らの扱いを、どう解していいのかわからなかっ
た。給仕女に至るまで、眼の青い美姫から中年の山だしに変っているで
はないか。一同ただあっけにとられてぶつぶつ不平を並べているばかり
だったが、超ははたと膝を叩いて、
 
 「我々には秘しているが、さては、匈奴の使者が着たに相違ない!」
 
 さっそく、王城へ壮士の一人を走らせ、王の信任厚い侍従を呼びよせ
ると、
 
 「匈奴の使者はどこにいる?」
 
 鎌をかけて訊きだしておいて、奥の間に押込んでしまう。そして、三
十六人の壮士をことごとく大広間に集め、上等の肴はないが、まずは盛
大な宴を張ったのだ。ここであらたに匈奴の使者が到着し、王が彼らに
誼を通じている事実を告げて、
 
 「それからのわれわれに対する冷遇は諸君承知のとおり。
  手を拱ぬいてこのままゼン善の術中におりいり、
  匈奴の国におくられ、狼の餌食などになっていられようか。
  意見のある者は誰でもいい、遠慮なく言ってみよ。」
 
 一座の重苦しい沈黙を破って頭だった者が一人にじり出て、
 
 「もともと命はあずけてある、お役に立つならどんなことでも。」
 
 班超はずいっと睨みまわし、
 
 「虎穴に入らずんば虎子を得ず、
  匈奴の宿舎に火を放って夜襲を仕掛けよう。
  味方がわずか三十六人の無勢とは夢おもわない奴らは、
  上を下への大騒ぎとなろう。」
 
 言葉に応じて、てんでに獲物をひっ掴んだ命知らずどもは、闇のなか
へ消えて行く。折から吹きつのる風に乗じて、鼓を持った十人が虜舎の
うしろへ隠れれば、あとの者は門の両脇に伏せる。火があがると同時に
鼓を鳴らし鬨の声をあげ、数倍の敵を皆殺しにしたのだった。ゼン善が
屈伏したのは、いうまでもない。
                        (「後漢書」班超伝)
 
 
 
 
傅介子(漢の昭帝の時、西域鎮圧に功を立てた人物)
張騫(漢の武帝の時、匈奴の勢力を駆逐して西域諸国を服属させた人物)
 
 


 

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