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三十六計逃ぐるにしかず

作者:未知  来源:日本ネット   更新:2004-11-15 20:33:00  点击:  切换到繁體中文

 

 三十六計逃ぐるにしかず? 全く判りきった文句のようだ。……が、
そう簡単でもないらしい。ある本では、「はかりごとが多いが、逃げる
べき時には逃げて、身を全うするのが最上の策ということ、転じて、困
った時には逃げるのがいちばんよい方法だ、となる」とある。だが別の
本では、「最上の策」までは同じでも、これは「卑怯者をそしる言葉だ」と
あるのだ。こういうニュアンスは、どこからでてくるのだろう?
 
 
 魏・呉・蜀漢、三国の争いも終って、天下が晉朝に統一されたのも、
わずかに四十年、晉は内乱と匈奴の襲来にほろびて、その後は揚子江の
南にうつり、北方の黄河流域には、北から、また西から、たくさんの異
民族がなだれこんだ。こうして麻のように乱れた勢力分布も、しだいに
南と北の二つに大きく分れ、それぞれの中での内紛と、南北両朝の争い
が小止みなくつづくようになる。この南北朝のころのことだ。北方では
鮮卑族の建てた魏が勢いをまし、南朝は斉の時代だった。宗の最後の皇
帝だった順帝は、斉王蕭道成や王敬則らの圧力で、国を斉に譲らされ、
やがて殺されたのである。
 
 そして今、その王敬則は、叛軍をひきいて、成都・建康(今の南京)め
ざして攻めのぼっていた。彼は会稽の太守になっていたが、いまの皇帝
とはながく争いをつづけ、息子たちも殺されていた。もう決着をつける
つもりだった。その途上だった。彼は皇帝側がとばしたうわさを耳にし
た。王敬則が逃げるらしい、というのだ。敬則は、吐きだすように言っ
た。
 
 「檀将軍の計略はかずかずあったというがな、
  逃げるのがいちばんの策だったそうな。
             (檀公の三十六策は走るがこれ上計なりと)
  きさまらこそ、さっさと逃げるがよいわ……」
 
 これにつづけて、「この語は、檀道済が魏軍をさけたのをそしったも
のである」と、注している書もある。
 
 
 王敬則はやがて斉の軍にかこまれ、逃げることもならずに首をうたれ
たが、「三十六策……」のことばは残って、語りつたえられるようになっ
た。だが、こう言われた檀道済とは、どんな人物だったのだろう。
 
 
 檀道済は、前代の宗につかえた名将である。宋の基をきずいた武皇帝
のころから軍事をあずかり、北方の大敵、魏の軍としばしば戦い、功を
たててきた。そのころ魏の勢いはますます強く、燕国も涼国もその鉄騎
のために攻めほろばされた。檀道済は、こういう敵を支えるために心を
くだきつづけたのだ。彼は兵を用いることに老練であり、その生きてい
るあいだは、宋の土地をあまり失わずしっかりと守っていた。名将檀道
済の名はしだいに重きを加えていったが、その名をにくむものは、ひそ
かに彼をおとしいれる機会をうかがっていた。
 
 前王の葬儀にからんで、讒言が王の耳につぎこまれた。戦国時代の国
王は、じぶんの将軍の力が強大になるのをつねに恐れている。讒言は聞
きいれられ、ついに檀道済は捕えられて、皇帝のまえに引き出された。
死罪は必定だった。そのとき、彼は頭巾をつかむと、それを床にたたき
つけ、火のように燃える眼をかっと見ひらき、皇帝をにらんで言ったと
いう。
 
 「皇帝よ、この檀道済を殺すとは、
  みずからの手で万里の長城を壊すにひとしいですぞ!」
 
 道済の死をききつたえると、魏軍はこおどりしてよろこんだ。はたし
て、宋の元嘉二十八年冬、魏王仏狸は百万と号する大軍をひきい、かた
く凍った河をかけわたって、宋に侵入した。この鉄騎のまえに、宋軍は
もろくも敗走し、魏軍はそれを追って宋の奥ふかく攻めこんだ。村々は
強掠され、大人は斬り殺された。魏兵は槍の先に赤子をさして、それを
振っておどったという。家々が焼きはらわれたため、春になって帰って
きた燕も、林の木に巣をつくった。建康の人々も先をあらそって避難し
た。……
 
 このころ、皇帝は石頭城にいたが、城のやぐらからはるかに北をのぞ
んで、嘆いて言った。
 
 「ああ、檀道済さえいたならば、
  あの胡軍にこうも踏みにじらせはしなかったろうに!」
 
 「三十六策走るを上計」としたとそしられた檀道済とは、こういう人物
であった。彼は宋の支柱であったようだし、じぶんでも、はっきりそう
思っていたのだ。強大な魏軍と戦って、いったんは退くことが「上計」で
あったことも多いだろう。じぶんや兵力を「全うする」ことは、宋のため
にも、たしかに必要であったろう。逃げるといっても、いろいろの意味
があるのだ。だが、こうしてはじまったことわざは、ことわざとして、
独立に生きはじめる。やがては、張扇につれて、「三十六計逃ぐるにし
かずと、尻に帆かけてすたこら……」と語られるようになる。歴史とい
うもの、よくこういう妙なことをするものだ。   (「斉書」王敬則伝)
 
 


 

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