今日〝自暴自棄〟というと、ヤケクソの意味だが、もとは「孟子」の中の「離婁上篇」に出ている言葉である。 自暴(自らそこなう)の者とはともに語ることはできない。自棄の者とはともに行動することはできない。口を開けば礼儀道徳をけなすのを自暴という。一方、道徳の価値を認めながら、仁や義といったものは自分などにはとうてい手の届かぬものだというようなのは自棄である。人の本性はもとより善である。だから人によって、道徳の根本理念たる仁は安らかな家のようなものであり、正しいみちすじたる義は、人にとっての正道である。安らかな家をほったらかしにして住もうともせず、正しい道をすてて歩こうともしないとは、まことに嘆かわしいことだ。―― 「離婁」篇には、孟子の言葉が羅列してあるだけなので、これがどんな時、誰にむかって語られた言葉であるかは知る由もない。
李下に冠を整さず陽関三畳無用の用矛 盾満を持す不倶戴天の讎百聞は一見に如かず誹謗の木顰みに効う杯中の蛇影年々歳々花相似たり人間万事塞翁が馬鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん似而非なる者錦を衣て夜行くが如し南風競わず何の面目あってか之を見ん南柯の夢涙を揮って馬謖を斬る飛んで火に入る夏の虫虎を画きて成らず反りて狗に類す虎の威を借る狐塗炭の苦しみ独眼竜蟷螂の斧