晉の献公というと、驪姫を愛する余り、太子申生が殺され、重耳(後
の文公)は亡命するという話で有名だが、歴史的に考えると、後の覇者
晉の文公(重耳)のために基礎を築いてやった人だと言える。献公は斉の
桓公が覇業を建てていた頃、少しずつ周囲の小国を併呑して行った。こ
れから述べるのは、献公が虞とカクを滅ぼした時の話である。
献公はかねてからカクを伐とうとしていたが、それには虞を通らなけ
ればならない。かつて良馬と美玉の賄賂を虞公に与え、カクを伐ったこ
とがあった。しかし今度こそ本当にカクを滅ぼしてしまいたいと考え、
また道を借りたい旨虞に申し込んだ。周の恵王二十二年のことである。
虞の国では、宮之奇という賢臣が、盛んに虞公を諫めていた。
「カクと虞は一体ですから、
カクが滅びたら虞も滅びることでしょう。
諺にも《輔車相依り、唇亡ぶれば歯寒し》と申しますが、
(車の両側を挟む木と車とが一緒になって物を運ぶのだし、
唇と歯は二つの物だが切り離すことはできない)
虞とカクの関係を言ったものと思われます。
寇とも言うべき晉の国に、
わが国を通過させるなど、もってのほかです。」
「いや、晉はわが同宗の国(共に周より出た国)であるから、
害を加えたりするはずがないよ。」
虞公がのんきなことを言うので、宮之奇はさらに説いた。
「家系を言ったら、カクもまた同宗ですよ。
それなのにどうして虞だけに親しみましょう。
それに晉は従祖兄弟に当る、
桓公・荘公の一族を殺したではありませんか。
よしんば親しくとも、
このように恃むに足りません。」
「だが、余は神に仕えるのに、
いつも立派なものを捧げ、
清らかであるように努めているから、
神が余を安んじてくれるだろう。」
「神は個人を親愛するのではありません。
その人の徳のあるのを見てから親愛するのです。
徳がなければ民が安んずることもないし、
神もその祭りを享けません。
神を恃んではいけません。」
しかし、いくら説いても、賄賂に目のくらんだ虞公は同じであった。
結局、宮之奇の言に従わないで、晉の使者に道を貸すことを許した。宮
之奇は線の細い男であったから、禍の身に及ぶのを恐れて、一族をひき
つれて虞を去った。国を去るに及び、
「晉はカク征伐のついでに、必ず虞を滅ぼすであろう。」
と予言した。
果して冬十二月、晉は虞の領土から攻めこんで、カクを滅ぼした。カ
ク公は周の国に逃げた。晉軍は帰途虞に宿営し、不意を襲って虞を滅ぼ
し、虞公とその大夫井伯を捕えた。そしてこの両人を、晋侯の女が秦の
穆公に嫁するとき、付け人としてやってしまったという。
右の話は「左伝」の「僖公五年」にある。標題の語は「輔車相依る」とも言
い、どちらも欠くことのできない密接な関係をいう。