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長鋏帰来らんか

作者:未知  来源:日本ネット   更新:2004-11-16 18:49:00  点击:  切换到繁體中文

 

 戦国時代の斉の宰相孟嘗君は、食客を好んだので天下の士が集まり、
中には罪のあるもの、逃亡中の者までやって来た。
 
 或る日、はるばる孟嘗君を訪ねてきた馮驩と言う男があった。草履ば
き、ボロボロの衣服である。孟嘗君は彼を伝舎という三等宿舎にとどめ
ておいた。が、十日ほどして馮驩はどうしているだろうかと宿舎の舎監
に聞いてみると、馮驩は彼の唯一の持ち物である長剣のつかを叩きなが
ら、
 
   帰って行こうか わが長剣よ
   ここの食事にゃ 魚もない
   (長鋏よ 帰来らんか 食に魚なし)
 
 と歌っているということである。これを聞いた孟嘗君は、馮驩を一段
格上の幸舎という宿舎にかえてやった。ここの食事には、魚がついてい
た。それで満足したものと思っていると、五日ほどして馮驩はまた長剣
のつかを叩いて歌っているという。
 
   帰って行こうか わが長剣よ
   そとへ出るにも 馬車がない
   (長鋏よ 帰来らんか 出ずるに輿なし)
 
 孟嘗君は最上等の代舎という宿舎へ移してやった。ここは外出するの
に乗物がついていたので、さてこんどこそ馮驩氏も満足であろうと思っ
ていると、さに非ず。五日もたつとまたぞろ馮驩氏は長剣を叩いて、
 
   帰って行こうか わが長剣よ
   妻子もなけりゃ 家もない
   (長鋏よ 帰来らんか 以て家をおさむるなし)
 
 と歌い出したという報告である。居候の分際としては、これは少々贅
沢な注文であったのだろう、孟嘗君もさすがに不愉快なかおをしてその
まま放っておいた(この話を「車魚の嘆」という)。
 
 
 さて、食客三千人と言われた孟嘗君である。その費用を捻出するだけ
でも大変であった。そこで采邑の薛の領民に金を貸付けて、その利息で
やりくりをつけようとしたが、一年たっても、利息どころか元金もろく
に返ってこない。そこで舎監の推薦で例の馮驩氏がその取り立てに就く
ことになった。
 
 薛に赴いた馮驩は、かき集めた十万銭の利息で、借り主の全部を招待
して、酒を買い肥えた牛をもとめて宴席をはった。宴たけなわになった
頃、一人一人、借用証書と照らし合わせて、利息支払いについての期日
と方法を相談した。話し合いの簡単につく者もあるが、中にはまったく
返済の手段のない者も多かった。馮驩は利息を払える者とは期日を確約
し、どうしても払えない者からは借用証書をあずかり、それを傍らの火
中に投じてしまった。一座の者がみなハッとしている中で、立ち上がっ
た馮驩は、
 
 「孟嘗君は諸君に銭を融通したのは、
  生業の資に当てて諸君の生活の安定をはかろうとしたのであり、
  また、利息を取り立ててるのは、
  食客を養う費用にあてるためであります。
  いま、余裕のある人々は支払いの期日を約束したし、
  本当に困っている人々については、
  その証書を焼き捨ててしまいました。
  これがわが君の本当の心にそう解決です。
  どうぞ、ここを弁えて、今日はうんと召し上がって、
  明日からはそれぞれ、一層生業にいそしんで下さい。」
 
 と説いた。孟嘗君はこれを聞いて、カンカンに怒って馮驩を呼びつけ
たが、馮驩が、
 
 「取れぬ者からは十年待っても一文も取れるものではありません。
  私はそんな無用な証書は焼きすてて、
  金の代わりに、
  君の心とするところを領民に刻みつけ、
  君の名誉を高めて参ったのです。
  これがどうしていけないのでしょうか。」
 
 と説くのを聞いて、俄に怒りを収め、かえって馮驩に礼を言ったとい
う。
 
 
 のち、宰相の位を追われた孟嘗君が失意の心を抱いて所領に帰ると、
領民は境界まで出迎えて、孟嘗君を慰めた。三千人と称された食客も皆
そのもとを散り去ったが、ただ馮驩一人は最後までふみ止まり、斉王に
説いて、孟嘗君は再び宰相の位に返り咲くことができた。
                   (「戦国策」・「史記」孟嘗君伝)
 
 


 

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