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中国人对日本文学的看法(日文)

作者:林少华  来源:网络   更新:2006-8-15 9:59:18  点击:  切换到繁體中文

 

作者——青岛海洋大学外国语学院教授林少华

中国は昔から「詩文大国」を任じ、とくに文章の彩りや技巧を重視してきた。「二句
をつくるのに三年かかり、ひとたび吟ずれば両眼から涙があふれる」といった唐の賈
島のような文人墨客は、どの時代も枚挙にいとまがない。おそらくこうした文化的遺
伝子のせいで今日までずっと、中国人は文章や作品の水準や風格に対して、ことのほ
か敏感であり、重箱の隅をつつくようなことをしてきたのだ。

 もっとも称賛される文章は簡潔、明瞭な筆致である。(これは中国語の最大の優れ
た特徴でもある)。これに比して「粘着語」に属する日本語には、こうした優れた点
はない。だから、中国語に翻訳された日本の文学作品を中国人が読み始めるときまっ
て、どろどろとした、すっきりしない感じを受けるのだ。(もちろん、翻訳の拙さが
原因である場合も排除できないが)。たとえ川端康成のような大文学者の作品でも、
文章の風格から言えば、普通の中国人が読み続けていくのは大変苦しい。これはたい
てい、川端文学をはじめすべての日本文学が、中国ではかなり少数の人にしか興味を
持たれない原因の一つとなっている。多くの読者からの手紙では、作者の名前を見な
くとも、ほんの数行読めば、それが日本文学だとわかってしまう、と書いてきてい
る。日本文学の、あのねばねば、べたべたした感じは、読者には実に耐えられないの
だ。

村上春樹の賢いところは、彼が最初から、伝統的な日本語の持つこうした先天的な弱
点を意識していて、洗練された、簡潔な言葉の使い方に格別の注意を払っている点
だ。彼はかつて取材を受けた時、こう語っている。

 「僕はいろんな言葉のまわりについていた付属物を洗い流しちゃって、それを洗い
流したままで抛りだしたような気がするんです」

 その結果、村上春樹は成功した。彼の書き方は明らかに他の日本の作家とは異なっ
ている。このため中国の読者の眼には、彼の小説は日本の小説ではないように見え
る。そして日本の小説臭さが希薄であるからこそ、中国の読者が自然に彼の作品を受
け入れ、たちまちその中に引き込まれてしまうのである。
 多くの人たちはみな、村上の小説がもっとも人を引きつけるのは、言葉に独特の風
格を備えているところにあり、言葉の簡潔さ、流暢さ、ユーモア、節度ある抒情的な
書き方が、読者に彼の作品を読む特有の喜びを与えるのだ、と言っている。『ノルウ
ェイの森』を百回以上読んだという女子高生がやって来て、ほとんど一字一句間違え
ずにすらすらと、小説の一節を暗誦できると言った。

 さらに彼の作品にはユーモアがあることだ。普通の中国人の眼から見ると、日本人
はユーモアのセンスに欠け、いつもまじめで、きちんとしている。日本の小説にもこ
うした傾向がある。だから中国人が日本の小説を読むと、圧迫感や重苦しさ、息苦し
く、暗くて、意気消沈するような感じに、いつもとらわれる。さらに、想像力に乏し
く、現実生活の中の、とるに足らない些細なことに拘泥して、くどくどと述べたて
る。中国の普通の読者にとっては、これは耐え難いことで、最後までなかなか読み切
れないのだ。

 しかし村上春樹は違う。彼はその筆の中に、感情をころしたユーモアと独特で飛躍
的な想像力を持っている。これは比喩を使った手法の中に、十分表れている。思いつ
くままに、二つの例を挙げて見よう。

 「どれくらい私のこと好き? と緑が訊いた。『世界中のジャングルの虎がみんな
バターになってしまうくらい好きだ』と僕は言った」

 「緑は長いあいだ電話の向こうで黙っていた。まるで世界中の細かい雨が世界中の
芝生に降っているような沈黙がつづいた」

 このような比喩は、どの作品にもみな使われていて、絶えず独創的である。おそら
く村上春樹はこうした点を、日本の伝統文学よりも欧米の現代文学作品から学んだの
ではないか。そしてこのような比喩は確実に、中国の読者の耳目を一新させ、ときに
は驚喜させるのだ。日本にこんな奇抜で優れた文学作品があったのか! と。とくに
若い女の子は、胸をときめかせ、村上春樹の小説は「チョー クール(すごくかっこ
いい)」と思うのだ。一部の人は文章や著作の中で大なり小なり「村上文体」を模倣
しはじめた。

 つまるところ、中国の詩文は昔から装飾性を重んじ、誇張して想像力をかき立てる
やり方を好んできた。例えば「白髪三千丈」という表現は、日本人には訳の分からな
いものに見えるかもしれないが、中国人にとっては、きわめて良くわかる表現なので
ある。だから中国の読者にとっては、堅苦しくてユーモアや想像力に乏しい文章を受
け入れるのは容易なことではないのだ。村上春樹の、簡潔で洗練された、とらえ所の
ない、知性豊かな、ユーモアに富む、ハッとするような文章は、まさに中国人の好み
にぴったり合っていて、読みはじめるとまるで風が水面を渡るような感じを受けるの
である。 共感呼ぶ孤独と無力感  次に、村上作品に特有の都会人の感覚が、中国の
読者の共鳴を引き起こしたことだ。

 村上春樹の小説の主人公はこれまで、何かを努めて強調しようとはせず、社会の現
実に面と向かって批判することもきわめて少ない。ほとんどいつも、ただ降りしきる
小雨の中で、あるいは西洋音楽が響く中で、静かに黙々と自己の魂を見つめ、穏やか
に、悠々と、優雅に、自由の中にも節度を持って、都会人の感覚を主張し、彼らの孤
独、失意、無力感、空っぽな心の世界を主張しているにすぎない。日本の評論家、川
本三郎はまさにこう言っている。

 「村上春樹は処女作以来一貫してシンプルにそしてリアルにこのことだけを言い続
けていた。『人生は空っぽである』」

 ただし、村上春樹は一般的な、通り一遍の主張にとどまってはいない。彼の筆にか
かると、孤独や失意、無力感、空虚さはもはや、天を恨んだり人をとがめたりするた
めの不平や悲しみを表すものではなくなる。さらにまた、社会や他人にその発散の道
を求めることもなく、内在する理知を働かせて、これを優雅なムードや、なんとも言
えないすばらしい境地に昇華させ、場合によってはこれを愛でて審美する対象にさえ
してしまうのだ。

 このように、孤独や無力感をうまく扱うところが、私のもっとも好きな、心の躍る
ところだ。孤独とか空虚とかいう類のものは、世間の眼から見れば価値のないもので
あり、否定すべきものだが、村上春樹の作品の中では、価値のある、肯定すべき要素
になってしまう。実はこれは、作者が都会人のために提供した一種の生活のモデルで
あり、人生に対する態度なのだ。


 

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